じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
9月19日の18時6分頃、東の空に赤い雲が見えていた。西の空の夕焼けならともかく、東のほうにある雲の下層部分だけが赤く光っているというのは珍しいかも。


9月19日(火)

【ちょっと思ったこと】

人類700万年の心理学?

 昨日の日記に10〜11月に開催される各種学会・セミナーをリストアップしたが、その中の日本心理学会第70回大会(2006年11月3日(金)〜5日(日)会場: 福岡国際会議場)のプログラムが9月14日からネット公開されている。

 ざっと閲覧した中でスゴイと思ったのが、

人類700万年を心理学する

というタイトルの公開シンポジウムであった。しかし、企画者や話題提供者のところを見ると、見覚えのあるお名前が...。ぜひとも参加したいと思う。

 このほか、一般研究発表の中に

●Oliver Sacksよ 本当の事を言ってくれ 30余年後にして遂に明かされたRescorla-Wagnerの真実

というのがあった。予約参加申込みをしていないので残念ながら予稿をダウンロードできないのだが、地下鉄の中吊り広告に出てきそうな、すごいタイトルだ(←発表者の方、ごめんなさい)。

【思ったこと】
_60919(火)[心理]日本教育心理学会第48回総会(3)施策や社会のしくみがが個人の行動に与える影響

●「学習資本主義」社会と教育改革‐「自ら学ぶ力」の格差問題‐

という特別講演の感想の3回目。




 さて、9月17日の日記で引用させていただいたように、この講演では
私たちの社会において、「学習」と呼ばれる現象には、どのような意味が与えられているのか。学習め成果として何が求められ、そこにいかなる(社会・経済的)価値が付与されるか。.....学習と呼ばれる行為やその成果が、どのように価値づけられるようになっているのかという「社会現象としての学習」に注目しつつ、....
ということがテーマになっていた。

 私が理解した限りでは、とにかく、内外の情勢の変化の中で、学びの大合唱が起こり、「個」を尊重し、自ら学び、選択することが推奨・賞賛されるような社会的なしくみが作られてきたというのが、講演前半の趣旨であったようだ。

 このあたりに関する、さらに詳しいキーワード(フレーズ)を、長谷川のメモに基づいて書き出してみると(←但し、暗い部屋でメモしたため、一部判読不能。何のことだったか忘れてしまった部分もあり)
  1. 「個」を尊重する学問は個人化と親和性をもつ。
  2. 「内発的」なるものに高い価値をおく傾向。
  3. 「個」が自立している状態は社会関係のパターンの1つ。
  4. 社会の心理主義化。
  5. 「個」がどう受け入れられるのかは、それをよしとする社会が前提。そのもとで社会的に構成される。
  6. ベックの「リスク社会」論
  7. Do-it-yourself-biography.
  8. 個人化が進む社会では、自伝をつくることが礼賛される。
  9. 人生とは選び取るもの。「選択」の連続。
  10. 職業生活(←趣味ではない)を通じた自己実現。これは世襲では実現しない。しかし実際は、「職業が選べる」というフィクション。
  11. 「labor」(労力,骨折り,苦心)から「vocation」(天職意識,使命感)へ。
  12. 社会の制度に依存することで個人化が可能。
  13. active lifeが推奨される社会。
  14. 学校教育における学習ばかりでない。「生涯学習」。
  15. 知識の陳腐化のスピードが速まることによる、絶え間ない学習の必要。
といったことになるかと思う。但し、これらは必ずしも、理想的な方向に実現されていくわけではない。どん欲な資本主義=人的資本主義は、自らを高めていく仕組みを織り込んだ資本主義であり、その中で、投資に見合う人的資本が形成されていく、...というようなお話であったと思う。




 以上のお話を拝聴して思ったこととしては、まずとにかく、いかなる個人も、社会的なしくみの影響を受けて行動を形成し、維持、改善していかざるをえない状況にあるということだ。もちろん、時代を超えた普遍性(地球環境がもたらす制約、人類の遺伝的特性、...)はあるが、それだけでは行動は決まらない。そういう意味で、自分の生きている時代において、何が社会的に推奨、賞賛されているのか、そういう仕組みはどういう背景のもとで作られ、どういうカラクリになっているのかを知ることは、自己理解にとっても欠かせない。このこと自体は私が日頃から強調している内容と一致している。

 しかしその一方、文科省や関連団体の答申が出され、そのもとで様々な施策が講じられたとしても、それによって個人の行動が影響を受ける部分というのは限られているし、そこには個人差もあるはず。極言すれば、答申に出現するキーワードを列挙によって見えてくるのは、時の政府が、どういう掛け声・号令を発していたかということだけである。その掛け声・号令で本当に個々人が変わったのかどうかは別の問題だ。もちろん、ある施策を実施したことによる成果もあれば、弊害もある。しかし、世の中のすべてが施策の成否で振り回されるわけではない。このあたりのところについて、次回以降に考えを述べてみたいと思う。

 次回に続く。