じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]  先週の金曜日早朝、散歩道沿いにある「ごみステーション」に古紙の束が置かれているのを目撃した。この日は、このエリアの資源化物(←「資源化ゴミ」ではなく「資源化物」と呼ぶ)の月1回の収集日にあたっており、指定日当日であったことは間違いない。但し、こちらにも説明されているように、資源化物を出す「資源化物ステーション」は、生ゴミを出す「ごみステーション」と同一ではない。撮影した場所は「資源化物ステーション」には指定されていないので、指定日を守っていても違法投棄ということになる。

 それはそれとして、私が気になったのは、これを置いた人がいまどういう人生を目ざしているのかということだ。写真からも容易に見て取れるように、束のいちばん上には『ワルの知恵本』が2冊含まれていた。本の帯には「もっとしたたかに生きてみないか」とあった。このほか『新現代地方自治法入門』や、『刑法各論の思考方法』(←写真には写っていない)などの本も含まれていた。この人はいったい、どういう気持ちでこれらの本を買ったのだろうか。また、なぜこの時期に古紙の束に含めて捨てることを決意したのだろうか。「やっぱりワルは自分には合わない」と思ったのか、資源化物ステーション以外に不法投棄することで「したたかに生きる」ことを実践しているのか、大きな謎である。
※7/28追記 夕食後の夫婦の散歩時に『ワルの知恵本』のことを妻に話したところ、妻の解釈はきわめてクールであった。
  • 私:なんでああいう本を買ったのかなあ?
  • 妻:はやっていたから買ったんでしょ。
  • 私:じゃあ、どうして捨てたんだろうか?
  • 妻:はやらなくなったからでしょ。


 余談だが、この「ごみステーション」では、指定曜日以外にさまざまなゴミが捨てられており、以前から注目している。2003年5月5日の日記(←本文の下のほう)に関連記事あり。



8月27日(日)

【ちょっと思ったこと】

ハワイ産の猛烈台風どこまで近づくか?

 8月27日のネットニュース(時事通信)によれば、気象庁は8月27日、ミッドウェー諸島近海でハリケーンが台風12号になったと発表した。中心気圧は920ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は55メートルであるという。

 この記事の見出しは「台風12号が発生」となっていたが、これは必ずしも正確な表現ではない。デジタル台風の関連記事で説明されているように、この強い熱帯低気圧はもともと、東経180度以東のハワイ諸島の南で発生し、ハリケーン「IOKE」に発達したものである。ところが、が東経(西経)180度線を越えて西進したために定義上、ハリケーンから台風に「変身」、つまり、27日に発生したのではなく、「称号」が変わっただけのことであった。

 デジタル台風の説明にあるように、この名前IOKEは台風のアジア名ではなく、中部太平洋のハリケーン名をそのまま使っている。またこの地域からはるばる6000km余りを旅して日本列島にまで到達した台風は、過去50年以上の記録を見てもさすがに1997年発生・上陸の台風19号の1個しかないそうだ。

 台風12号の様子は、少し前から気象衛星ひまわりの全球画像 (2048x2048)に写っていた。西進するにつれて、真上から見下ろす角度になり丸味を帯びてきた。このあたりの、見かけの形や大きさの変化は、太陽黒点が(見かけ上の)周縁部にある時と、真ん中に移動してきた時の変化によく似ている。

【思ったこと】
_60827(日)[心理]「学習療法」認知症に効く?(5)「お墨付き」よりも大切なこと

 少し間が空いてしまったが、8月20日の朝日新聞(大阪本社)の

「学習療法」認知症に効く?/毎日、単純計算や音読/介護施設275カ所採用/「脳トレ」川島教授が考案/専門家静観 進まぬ議論/専門誌掲載 急速に拡大

 という見出しの記事に関する連載の最終回。





 さて、8月20日の日記で引用したように、記事には
「音読と計算は認知症の人の前頭葉機能を改善する」というタイトルの川島教授らの論文が、米国の専門誌「老年学雑誌 シリーズa・生物科学と医科学」に掲載された。このお墨付きにより、全国で急速に広まったと言える。
というようなことが記されていた。厳密に言うと、「広まったと言える」という後半のは文は執筆者(記者)の解釈ということになろうが、とにかく、「成果が学術誌に掲載される」ということが「お墨付き」になることは、ありうることだと思う。

 確かに、架空の体験談をでっち上げたようなインチキ健康食品の宣伝が横行するような世の中にあっては、学術雑誌で成果が公表されているということは大きなインパクトがあるとは思う。しかし、この連載ですでに述べたように、ここで示されているのは「パッケージ効果(セラピー全体の包括的な効果)」であって音読や計算がダイレクトに効いているかどうかについては未だ検証されていないし、また、「統計的に有意であった」からといってそれだけでは「直ちに導入することが求められるような劇的な改善効果があった」ということにはならない。

 今回取り上げた「学習療法」についてではなく、あくまで一般論としての話だが、種々のセラピーでは

●「○○セラピー」の有効性を確認した実験論文が一流学術誌に掲載された。
●よって「○○セラピー」の有効性は科学的に実証された。

という、「客観性レトリック」による宣伝効果を狙うケースは多い。しかし、すでに述べたように、パッケージ的なセラピーの効果というのは、あくまで個人本位で評価されるべきであり、これを無視して「万人に共通な普遍的効果があるから、個人にも当てはめるべきだ」という主張や宣伝に対しては、私はあくまで反論を続けていきたいと思っている。今回の新聞記事の執筆者は、おそらくこの「客観性レトリック」の罠から抜け切れていない。また「お墨付き」があったというだけで無批判に導入をはかろうという動きがあれば、これもまた罠にはまっていると言うべきであろう。




 1つの療法に特効薬のような劇的な治療効果があった場合は別だが(←そういう場合は、もはや「療法」ではなく、「治療法」と呼ぶべきだろう)、ごく緩やかな効果が「期待できるかもしれない」という程度の場合は、けっきょくのところ、そのセラピーを受ける御本人の全生活時間・空間の中で、それにどういう優先順位をつけるか、他の行動やセラピーとの間でどういうバランスをとるかという視点が大切になってくる。

 この日記でも何度か取り上げているように、オーストラリアの高齢者施設では、「ダイバージョナルセラピー」が幅広く導入されている。しかし実際に行われている「ダイバージョナルセラピー」というのは、パズル、ゲーム、体操、音楽、犬、人形、回想、多様な感覚刺激提示....など多種多様であって、単一の療法を指定するものではない。むしろ、それを実施するにあたっての指針や個人本位の行動評価を重視、つまり、「理念や姿勢、実施計画→実践→評価→改善」を含む総合的・全人的なプログラムであると言ってよいかと思う。

 日本国内でもこの種のセラピーの導入、普及が期待されるところであるが、それ以前の問題として、基本サービスを提供するスタッフ不足をどうするかという現状があるようだ。




 最後に、今回取り上げた「学習療法」を実際に導入している知人から情報をいただいたので、以下に転載させていただく(改行部分など、一部、長谷川のほうで改変)。
当施設でも公文の学習療法を導入しています。
週5日一人当たり30分ドリルを繰り返しています。
学習者と職員が一対一で対応し、例え正答しなくてもひたすらほめちぎるということが原則です。
他職員は公文の「能を刺激して活性化させる」ことを真に受けている人が多いですが、ドリルとその回答自体のフィードバックはほとんどありません。
むしろ、
  • 一対一のコミュニケーションの機会が確保された
  • 施設内で自発的行動が消去されていた高齢者が、自身の能動的な読み、書きという行為がリアルタイムに強化されるため、活動性が増したようにみえる
ということに尽きるのではないかと思います。
だから、「公文が効果があった」というより、「少人数での関わり合いが高齢者の能動的な行動とレパートリーを増やし、活動性を増している」部分が大きいと思います。

まあ、中には本当に幼少時に学校に行けなくて、この年で勉強ができて嬉しいという方もいますけど。

ただ公文側も学習前、学習開始時、学習開始3ヶ月後と認知症の度合いを測る質問紙を配布して高齢者にさせています。
この学習前後の比較で「点数が上がった→認知症が改善された」というのが彼らの主張の論拠の1つですが、そこも疑問が多いです。

例えば、公文開始時に高齢者に時計を見せて、「何月何日の何時ですか」と聞いて、紙に日付、時間、名前を記入させるわけです。
おわかりだと思いますが、認知症のテストには日時、場所を尋ねる項目があります。
仮にその部分の点数が上がったとしても、公文のおかげとはいえず、毎日時計を見る習慣を作ったこと、それに伴い日付を覚えるようになった可能性も捨て切れません。

公文の効果があった→介護保険の制度に組み込もうとやっきになっていますが、そんなことより、介護職員などの人員を強化して、職員一人一人が利用者にゆっくり関われる時間を多く作る 方がよっぽど良いと思います。
情報提供ありがとうございました。今後のご活躍をお祈りします。