じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] [今日の写真] センダンの花が見頃になった。興味深いのは、昨年秋の実がまだ残っていること(写真左)。写真右は、花びらと実が同時に落ちているところ。けっきょくこの植物は、一年中、開花と結実に従事していることになる。なお、昨年12月15日に同じ場所で撮影した写真がこちらにあり。


6月1日(木)

【ちょっと思ったこと】

駐車違反取締り新制度、大いに結構

 各種報道によれば、6月1日から民間の駐車監視員が駐車違反の取締りにあたる新しい制度が全国の都市部で一斉に始まった。繁華街や幹線道路での悪質な違法駐車の一掃という趣旨であるというが、大いに結構なことだと思う。

 これによって交通渋滞が緩和されれば、結果的に地球温暖化ガス排出の削減にもつながる。

 日々のトラック配送に依存するコンビニや外食産業にとって打撃になるという声もあるが、配送方法を工夫し、回数を減らしたり時間帯を深夜に変更して対応すれば、少なくとも昼間の迷惑駐車は減る。じっさい、片側二車線の道路を走っていていつも思うのだが、左車線を塞いでいるのはたいがい、その種のトラックである。混雑時には車線変更で手間取ることがある(←といって右車線を走っていると、右折車に前を塞がれたりする)。

 いっぽう、今まで迷惑駐車を繰り返しながら自家用車で移動していた人は、取り締まり強化に耐えられずに公共交通を利用するようになるだろう。これも結果的に地球温暖化ガス排出削減に貢献する。

 今回の新制度発足で多少気になるのは、民間監視員が担当地区の違反を公正にちゃんと取り締まってくれるだろうかということだ。例えば、黒塗りのヤクザの車が駐車違反していた時に、脅しに応じずにきっちりと対処できるかどうかということ。もし、そういう相手だけ大目に見るということになれば、法の下の平等に反するし、脅しに屈する、悪のはびこる環境を作ってしまうことになる

 もう1つ、この際、厳格に見極めて欲しいのが、健常者が障害者用駐車スペースに勝手に車を停める行為、さらには、「車椅子マーク」の悪用である(5月17日の日記参照)。これらはたいがい、私有地内での悪質行為であるため駐車違反の取り締まり対象にはならないが、詐欺や偽計行為として別の形で告発してもいいのではないかと思う。



路上で、自分たちだけの世界に浸る若者たち

 いつもの通り、5時半すぎに早朝の散歩をしていたところ、交差点の一角で若い女性が自転車を駐めて大声でおしゃべりをしていた。会話の内容は、歩行者はもちろん、周辺の民家の住人にも十分伝わるほどであった。こんな時間では、さぞかし近所迷惑になるのではと思うのだが、本人たちはいっこうに気にならないようだ。

 その前日、21時過ぎに夫婦で散歩をしていた時にも同じような光景を目撃した。ある家の前で、軽乗用車がエンジンをふかしながら停まっており、自転車を停めている若い女性が、助手席側から大声で運転者とおしゃべりをしていた。その声は数十メートル先からでも十分聞き取れるほどである。最初は、その家の住人が、軽乗用車でやってきた人と会話をしているのかと思ったが、しばらくして振り返ると、軽乗用車も自転車も姿を消していた。目の前の家とは何の関係も無い人たちがたまたまそこでバッタリ会って、長話をしていたらしい。家の中の人が何事が起こったかと思ったことだろう。

 大声を発している人たちは、決して倫理観や羞恥心が欠如しているわけではなないと思う。要するに、周りが見えていないのである。周りに何があるか気づかないから、大声を出しても迷惑になるとは思わないし、他の人にマル聞こえになっても何とも感じない。

 5月30日の日記で取り上げた迷惑駐輪もおそらく同様であろうと思う。この写真のいちばん右側に自転車を駐めた学生は、講義棟側の世界しか目に映っていない。駐輪禁止の看板があってもすでに大量の自転車が駐められている。自分としてはそのいちばん後ろに自転車を置いただけという感覚なのだろう。その場所が道路のど真ん中であって、車の通行を妨げる結果を及ぼしていることなどには全く気づいていない。

 こうしてみると、単にモラル向上という一般論を説いてもダメであって、まずは自分自身がいまどういう世界に存在しているのか、その場所は他者にとってはどういう世界になっているのかを気づかせる働きかけから始めることが大切ではないかと思う。