じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 芝地に残る雪のかたまり。これの最後の姿だと知っている人はそう多くはないだろう。


2月11日(土)

【ちょっと思ったこと】

冬季五輪イマイチ関心持てず

 第20回冬季オリンピック・トリノ大会が始まった。いつも朝5時すぎに起きているので、テレビのスイッチを入れると真っ先にその映像が入ってくるのだが、うーむ、イマイチ関心が持てないなあ。

 モーグルでメダルに手が届かなかったことやジャンプ原田失格といった残念なニュースが入ってきたこともあるが、本質的には、順位決定のアカウンタビリティや「これで決まり」という感動場面に乏しいことに問題点があるように思う。

 冬季五輪の種目、特に日本選手が活躍する競技には、審判の採点で順位が変動する種目が多いように思う。別に不公正だとか、西洋人偏重だと言うつもりはないが、とにかく、スポーツでは、素人でも分かるような基準で採点されないと感動が湧いてこない。専門家でなければ見極めがつかないような難易度というのもあるだろうが、それを測って順位を決めるというならもはやスポーツではない。専門技術者の技能コンテストだ。

 もう1つの問題点は、陸上競技や水泳などと違って、同じ瞬間に同時に競い合うという場面が少ないことである。マラソンや100m競走であれば、いちばん先にゴールをすることが勝利決定の感動の瞬間となる。ところが、スキーやスケートでは一般に、1回に1人、もしくは2人ずつで行われるため、最後の選手の競技が終わるまでは順位が確定しない。つまり、優勝の瞬間というのは自分の行動の直後でなない。場合によってはライバル選手が失敗した直後に決定づけられる。

 そういう意味では、4年前の大会のショートトラック男子1000mの決勝は、とても感動的であった。最終コーナーで前を行く4人の選手が次々と転倒、最後尾からついてきたオーストラリアのブラッドバリー選手がその間をすり抜けてただ一人、立ったままゴールに達したのであった(2002年2月17日の日記)。いろんなアクシデントがあっても、とにかく、決勝に残った選手が同時に競い合うという競技のほうが観ていて感動する。

【思ったこと】
_60211(金)[心理]ユジンとチュンサンの血液型(後)

 昨日の日記で、冬のソナタ第四話の「血液型性格判断」シーンは
  • ミニョン:ユジンさん、A型でしょ。正直者で自分の感情をごまかせない、嘘はつけなくて、そのくせ本当に言いたいことも言えないで鬱々とする。違います?
  • ユジン:やめてください。私のことを知りもしない人に知ったかぶりされるのは不愉快です。
  • ミニョン:それじゃ当たったんだ。当たってなきゃ不愉快なはずもないし。
  • ユジン:いえ、全然当たっていません。私はO型です。血液型性格判断なんてあてになりませんよ。

としておいたほうが、後の展開が面白くなるのではないかと書いた(というか、ユジンを通じて、そういう形で血液型偏見差別を否定しておいてほしかった)。

 こちらの資料集にあるように、私は「血液型性格判断」に関しては、純粋な学問研究は否定しないものの、実用的には全く役に立たず、有害無益な商業主義に過ぎないと考えている。従って、お察しとは思うが、私が使うとしたら「血液型性格判断」ネタではなく、あくまで、チュンサンの父親は誰かという親子関係の判定にこれを使えないだろうかという、使い古しのネタに限定したものになる。




以下は、作品の内容にふれています。まだドラマをご覧になっていない方は、絶対に読まないでください。















【1】ユジンの父親はO型、チュンサンはAB型という設定



 「使い古し」の中でも最もオーソドックスなシナリオは、チュンサンの血液型はAB型という設定にしておき、ユジンの亡くなった父親の血液型がO型であることを後になって判明させれば、「ユジンとチュンサンは異母兄妹ではなかった」という完全な証拠に使える。この場合、ユジン自身はじつはO型である必要はなく、A型、B型いずれであっても構わない(AB型であると、こんどはユジンの父親は誰かというとんでもない疑惑が生まれてしまう)。

 もっともユジンの父親はすでに亡くなっているので、墓を掘ってまで血液型を調べるのは不自然という問題が残る。例えばユジンがA型、妹がB型、ユジンの母がAB型であったとしても、ユジンの父親はO型、AO型、BO型のいずれであるかは確定できない。ユジン、妹、母親が全員O型であった場合も、やはり3通りの血液型の可能性が残る。


【2】ユジンの父親はAB型、チュンサンはO型という設定



 【1】とは逆に、ユジンの父親がAB型、チュンサンがO型という逆の設定も可能。いや、よく考えてみれば、このほうが遙かに分かりやすい。

 例えば、ユジンの妹に「私の家は、みんな血液型が違うのよ。姉ちゃんはA型、私はB型、お母さんはO型なのよ。」と、どっかで喋らせたとする。ユジンの母親がO型であるにもかかわらずユジンがA型で妹がB型になりうる可能性は、ユジンの父親がAB型である場合に限られるので、【1】と異なり、墓を掘らなくてもユジンの父親の血液型は確定できる。いっぽう、チュンサンがO型であるということ、(もちろん本人は知っているが、ドラマでは)脳の手術をした時に初めてユジンに分かるようなシナリオにしておけばよいだろう。


【3】ユジンもチュンサンもA型、ユジンの父親はO型というケース



 ところで韓国盤(但し英語字幕)では、2人でスキー場に行く場面でミニョンが「I'm a type A too. 」と語ってしまったことが既成の事実になってしまっている。では、ユジンもミニョンも共にA型であって、なおかつ「実は異母兄妹ではなかった」ということを証拠づけるにはどうすればよいだろうか。

 このためには、ユジンの父親がO型であり、カン・ミヒ(チュンサンの母親)がB型もしくはO型であるとしておけばよい。少々不自然な展開になるが、ユジンの父親の命日に、ユジンの妹が「ねえ、お父さん、どういう病気で亡くなったの?」と母親に訊くことにしよう。これに対して母親に

お父さんは心臓の病気でお亡くなりになったの。手術の時、たくさんの輸血が必要になって大変だったのよ。私の血も直接使ってほしかったのだけれど、お父さんの血液型はO型で、私はA型だったから、直接輸血することはできなかったのよ。

などと語らせて伏線を張っておく。

 いっぽうユジンは、ある時、たまたま週刊誌を読んでいて、カン・ミヒのインタビュー記事を見つける。プロフィール欄には、はっきりと「カン・ミヒさん、○○歳、血液型B型」と書かれてある。その時、ユジンは、第四話でミニョン(チュンサン)と初めてスキー場の下見に言った時にミニョンが

ボクもA型なんですよ

と言ったことを思い出す。そして

私はA型、チュンサンもA型、でも私のお父さんはO型、カン・ミヒさんの血液型はB型、、...こんなことってあるかしら?

と重大な矛盾に気づくというシナリオだ。

 もっとも、私は個人的にはこのシナリオを好まない。週刊誌等でその人の血液型を紹介すること自体ケシカランと思っているからである。このシナリオを採用してしまうということは、「カン・ミヒの血液型が週刊誌に紹介されていたのは、血液型性格判断が流行っていたおかげである」ということを暗に認めたことになる。それよりは、輸血の適合性から判明するというシナリオのほうがまだマシだ


 なお、私が勝手に作った第19話以降のシナリオ書き換えの試みでも、じつは、血液ネタが使われているが、こちらは医学的にはかなり無理な設定になっている。