祝・阪神タイガース優勝!

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 阪神が2年ぶりのリーグ優勝を果たした。写真は、翌日朝の折り込みチラシ。岡山では大型スーパーなど4店が優勝便乗?祝賀セールの宣伝をしていた。2年前は星野監督の背番号にちなんだ777円セールなどをやっていたが、今年はどんなもんだろうか。岡田監督の背番号は80なので800円セールに値上がりか。

 ちなみに、かつてダイエーホークスが優勝した時には岡山駅前のダイエーで優勝祝賀セールをやっていたものだが、そのダイエーもとうとう岡山から撤退することになってしまった。



9月29日(木)

【ちょっと思ったこと】

英会話入門、9月で交代

 毎朝、NHKラジオの英会話入門を聞くように心がけている(←時々、朝食が遅れて聞き逃すこともある)のだが、きょうの放送の最後のところのあいさつがいつもと異なり

●これで私たちの英会話入門は終わります

となっていた。妙だなあと思って検索したら、10月からは別の先生に交代されるとのことだ。

 3月17日の日記に書いたように、私の場合、遠山顕先生担当の放送は性に合っていた。9月で終了というのはまことに残念。11月下旬の国際会議に備えて日常英会話力をアップ(←この年ではもはや上達は無理なので、メンテといったほうが正確)しようと思っていたが、何か、楽しみながら続けられる放送は無いかなあ。

9/30追記]
kazさんより、10月以降、遠山顕先生は英会話中級を担当されるとの情報をいただいた。午後7:05〜7:20の時間帯に聴こうと思うが、そうなると、19時台のNHKニュースを英語放送で聴けなくなってしまうなあ。





【思ったこと】
_50929(木)[一般]経済的損失 vs. 経済効果 その後

9月27日の日記でこのことについて、恥ずかしながら素朴な疑問を記したところ、さっそくお二人の方から解説をいただいた。どうもありがとうございました(以下、改行部分一部改変)
  • アトリエどどどさんより
    専門家では無いので細部はあやしいですが(^^;、
    ・経済的損失:コトの直接/間接的な影響範囲でコトの前に存在していてコトで失われた資産や売上げ(or 利益)
    ・経済効果:コトの直接/間接的な影響範囲でコトがなければ発生しなかったであろう売上げ(or 利益)や作られなかったであろう資産

    で、復興事業や戦争特需などは経済効果ですが、その経済的恩恵は必ずしも経済的損失を受けたヒト/地域に還元されるわけではなく、また経済的損失とその復興費用が等しい事も恐らく稀であるところが両者の区別の必要性かと(^^;。

    追記(^^;。
    それで、災害等での経済的損失とその復興事業による経済効果の場合、
    被害状況を調査している段階で「この災害の復興事業による経済効果はXX億ドルを超えると予想されます」
    などと報道されたら、いくら復興事業関係者が出血大サービス価格で請け負っても火事場泥棒的な印象を与えるでしょうし、祝勝会のビールかけの場合、具体的に経済的損失(?)を受けるのは球団かその親会社となりますが、その「演出」が優勝というムードを盛り上げ、優勝セールや、次期のスポンサー契約や放映料や入場券の売れ行き..etcに貢献するなら、それ(一見経済的損失と見えるモノ)は広告料の一種(必要経費)となって、会計上の「損失」にはならない..
    と言う感じでしょうか(^^;
  • 豊田@早大さんより
    経済効果と経済的損失は反対概念ではないとご理解ください.経済的損失は日常用語の意味そのままです.国富の減少です.経済の教科書で社会を生体にたとえるときは,貨幣は血液にたとえられることが多く,経済効果で景気がよいということは,血の巡りがよいということであり,国富を溜め込んでも(カロリーを体内に溜め込んでも)貨幣が回らなければ(運動しなければ)社会は活性化しません(健康になれません).杉浦日向子氏のエッセイに,職人の多い江戸では大火事が出るととたんに景気が良くなった.だからわざと消さないで見ていることもしばしばあったというような記載があります.つまり食べ物を粗末にしたり,使える道具を捨てたりしたほうが社会の景気は良くなるわけで,人間は地球のガンなのだろうかと悲しくなります.地震や津波なのど災害があると,その地方の建設会社や護岸技術をもった会社の株価は,次の日には急騰します.悲しい現実です.
 私自身、少し前に、地域通貨や「お金の心理学」なんていう原稿を書いたことがあるのだが、恥ずかしながら、経済学については全く素人であり、上掲の解説をいただいてもまだよく分からないところがある。




 あくまで素人考えになるが、経済効果とか経済的損失というのは、個人レベルの損得とは根本的に異なるようだ。また、生産者たちが自給自足で暮らしている社会ではあまり意味が無いように思われる。

 例えば、ある小さな島に、浦島さん(漁業)と桃太郎さん(農業)の2人だけが暮らしていたとする。この場合、浦島さんと桃太郎さんは、野菜・穀物と魚を物々交換することで豊かな食生活を保つことができる。しかし、この段階でもまだ経済効果という概念は生まれてこない。

 そこにもう一人、小泉さんという政治家が住み着くようになったとする。小泉さんはそのままでは飢え死にしてしまうので、その島の一角で有料の博覧会を開く。その博覧会に、浦島さんと桃太郎さんが入園してくれれば、入園収入で米や魚を買うことができる。浦島さんや桃太郎さんがリピーターとして繰り返し入園してくれれば、小泉さんの食卓はそれだけ豊かになるだろう。

 もっとも、その島でとれる農作物や魚には限りがあるだろう。小泉さんがいくら儲けても、生産物が限られているならば物価は値上がりする。従って、浦島さんや桃太郎さんが何回入園しても、小泉さんの生活水準が上がることはない。

 そこにもう一人、土木・建築・船大工なんでもこなす角栄さんがやってきたとする。角栄さんは、島の耕地を拡大したり、新しい船をつくったりすることで、浦島さんや桃太郎さんからお金を受け取り、そのお金で食料を買ったり、小泉さんの博覧会に遊びにいくことができる。この場合は、生産量が増えるので、島民4人の生活はいずれも向上するだろう。

 島の食糧自給が満たされるようになり労働時間が少なくて済むようになると、今度は、余暇をどう活かすかという段階になってくる。そして、浦島さんはレジャー用の釣り船、桃太郎さんは植物園、角栄さんは木工教室、小泉さんは劇場を作り、相互に交流が進むようになる。この場合、それぞれの施設の入場者数が増えればそれだけ、見かけ上の収入は増えるようになるだろう。もっとも、島全体の生産量は以前と変わらないし、新しい家を建てたいといっても、大工は角栄さん一人なのでそんなには働けない。経済効果のわりには、島民の暮らしはそんなに「豊か」にならないようにも思える。

 けっきょく、経済効果で最終的に得をするのは、生産活動以外の労働をしている人、もしくは、不動産や株投資、あるいはマネーゲームだけで生計を立てている人に限られてくるのだろうか。このあたりのことを含めて、「経済効果があった」場合のメリットと、そのことによるマイナス面を考えていく必要があるように思う。

10/3追記]

豊田@早大さんより再度の貴重な情報をいただいたので追記させていただく。たびたびありがとうございます。
生産活動をしている人も経済効果で得をします.経済効果は貨幣が回る力・量(血液流量)ですから隅々までいきわたります.たとえば,万博会場で見て回る人が多いー>旅館・ホテルに沢山人が泊まるー>旅館のご主人いつもより値段の高い靴を買うー>生産活動している靴屋さん儲かる.という金回りなどいくらでも考えられます.

また先の書き込みで,復興が必要な地域の企業の株が上がることを,私はいい子ぶって「悲しい」と書きましたが,実は私はそういう時に真っ先に,そういう株を買う人間です.マネーゲームと言われるかもしれませんが,復興地の株を買うことは,その地域を直接応援することになるのです.自分も儲かる行為だから規模が大きくなり,自己犠牲の寄付・募金(もちろんこちらもしますが)より復興に貢献する可能性もあり,合理的なのです.