じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] マルバルコウソウ。この日記では「オレンジ色の朝顔?」として毎年のように写真を掲載している。当初「ルコウソウ」だと思い込んでいて特に疑問にも思わなかったが、よく見ると、葉の形がまるっきり違うことに気づく。調べたところ、マルバルコウソウであった。写真右は、青色の朝顔(中輪咲き)と一緒に咲いているところ。


9月28日(水)

【ちょっと思ったこと】

セリーグとパリーグのプレーオフ制度

 9月28日のプロ野球公式戦で、阪神が巨人に勝ち、いっぽう中日が横浜に負けたため、阪神の優勝マジックはいっきょに2つ減って「1」となった。29日にも甲子園での胴上げが見られそうな気配だ。

 9月24日の日記に書いたように、今シーズンのセリーグは、勝率1位と勝利数単独1位チームとの間でプレーオフを行うことを決めている。28日のゲーム終了時点で
  • 阪神:83勝52敗5分、残り6試合
  • 中日:76勝61敗1分、残り8試合
となっているので、阪神が残り試合全敗し、中日が全勝した場合でも
  • 阪神83勝58敗 勝率0.589
  • 中日84勝61敗 勝率0.579
となり、阪神の勝率1位は昨日の時点ですでに決定した。要するに、阪神は、最悪でもセリーグ・プレーオフ進出の権利を獲得したと言うことができる。

 さて、いっぽうのパリーグは、28日で公式戦全日程を終了した。最終成績は
  • 1位 ソフトバンク 89勝45敗2分 .664
  • 2位 ロッテ 84勝49敗3分け .632 首位と4.5差
  • 3位 西武 67勝69敗0分 .493 首位と23.0差
となっており、まず2位のロッテと3位の西武で第1ステージで対戦し、ついでその勝者が1位のソフトバンクと対戦する。第1ステージで西武が勝った場合は、ソフトバンクとのゲーム差が5ゲーム以上離れているため、ソフトバンクに1勝のアドバンテージが与えられることになっているというが、西武にもチャンスが無いわけではない。そうなると、勝率5割未満、公式戦首位と23ゲームの差をつけられたチームが優勝というなってしまうわけだから、公式戦で勝つことの軽さが問われることになるだろう。

 2つのプレーオフ制度を比較してみると、パリーグのほうはやはり、まずい。セリーグのほうは、公式戦で1勝することが最後まで意味をもつので妥当性が高いと言えるように思う。このほかのプレーオフ制度としては、例えば
  • 各チーム間の最終対戦成績に基づき、勝ち越しには勝ち点2、五分の時は勝ち点1を与え、勝ち点が一番多いチームと勝率1位チームの間でプレーオフとする。勝ち点は交流戦の結果を含むものとする。
  • 交流戦の対戦を増やし、交流戦のみの勝率1位チームを日本シリーズに加える。
といったルールを作ることも一興かと思う。

【思ったこと】
_50928(水)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(5)“knowing how”と“knowing that”の違い

 昨日の日記でも述べたが、いくらおしゃべり好きな人間にとっても、「事実」は語られるばかりではない。「語る」こと以前に、我々は、物理的世界に能動的に関わり、そこで一定の行動を形成し、そのことに基づいて「語っている」のである。また、語ることはしないが、人間以外の動物たちも、それぞれのやりかたで物理世界と関わり、適応し、子孫を残しているのである。物理的世界のとらえ方についての社会構成主義の主張は基本的には正しいと思うが、「語る」ことを偏重する以前にまず、そういう「語り」がいかなるプロセスで構築されていくのかを分析していく必要がある。

 このことに関して、Guerin(1992)は、行動分析学の視点から次のような指摘を行っている。それによれば、Gergenらが言うところの「世界の捉え方」は、じつは「knowing that」に限定されている。これはまさに、行動分析学が言語行動として研究している対象である。しかし、世界の捉え方はもう1つ「knowing how」がある。そして、Gergenらはこちらのことには言及していない。「knowing how」と「knowing that」という2つの知識は明確に区別されなければならない。

 「knowing how」は、動物の弁別行動として知られる。すなわち、人間ばかりでなくハトでも、緑色のライトが点灯した時には左側のキーを、赤色のライトの時は右側のキーを押すという弁別を容易に学習することができる。そのさい、「語ること」は全く必要ない。この種の弁別行動は、環境との関わりの中で直接的に形成されたものである。もし別のハトが同じように弁別できたとしても、それは「社会的に構成された知識」では断じてない。同じ行動随伴性に晒された2羽が同じように振る舞っただけのことである。同様に、我々はドアノブを回し、ドアを開ける。ドアノブを回す動作はよく似ているが、これも社会的に構成された知識によるものではない。「ドアノブを回せばドアが開く」という自然に組み込まれた随伴性によって同じ行動が形成されただけのことである。

 いっぽう、「knowing that」は、まさに社会構成主義が言及しているところの知識に他ならない。この意味での「知る」とは適切な言語行動を生起させることである。例えば「ペルーの首都は?」という問いに対しては、しかるべき文脈においては「リマです」と応えることが適切な言語行動ということになる。

 以上の議論にもとづいてGuerin(1992)は、Gergenらが言うところの「社会的に構成された現実」とは、言語行動に関わる随伴性の中で形成された世界に限定されるものであると主張している。

 いずれにせよ、我々は、物理世界に働きかけ、その一部を加工したり強さを調整したりすることができる。そしてその関わりこそが環境世界を作り上げていく。「社会的に構成された世界」と言ったところで、突然ふってわいたようにできあがったものではない。操作可能な環境世界と行動随伴性に基づく分析こそが社会的に構成されるプロセスを明らかにできるであろう。