じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 葛の花。秋の七草の1つ。繁殖力旺盛で周囲の樹木を圧倒するため、秋の七草を育てて展示している植物園の中には、葛だけ除外しているところもある。



9月12日(月)

【ちょっと思ったこと】

公明党はなぜ小泉改革を支持しているのか

 今回の総選挙では、小泉首相個人のやり方に対して批判を浴びせる声が強かったように思う。

 しかし、先の国会で、郵政民営化関連法案に賛成したのは「自民党首脳の圧力に屈した自民党議員」ばかりではなかった。公明党の強い支持があればこそ衆院では可決となったのである。小泉改革は、小泉首相個人の改革ではない。自公連立政権が強力に推し進めようとしている改革である。早い話、公明党が郵政民営化反対論もしくは慎重論を唱えていれば、このような結果にはならなかったはずだ。改革に反対する人々は、小泉氏個人や自民党ばかりでなく、公明党がなぜその一翼を担っているのかについて、考えを表明するべきだと思う。

 では、なぜ公明党は、新古典派経済理論の流れを組む「市場原理」、「規制緩和」、「小さな政府」...の構造改革の後押しをするのだろうか。

 まず第一に考えられるのは、与党政権の枠組みを維持し続けたいという強い要請であろう。やはり政権党と野党では行政への影響力はまるで違う。

 次に考えられるのは、特定郵便局や官公労のしがらみが少ないという点。そのぶん、守旧派より積極的な政策を提言できる。

 三番目、自民党守旧派勢力の中には、「日本は神の国」であることを重視した教育を推し進めようという人々がいる。これは、日蓮宗など、神道以外の宗教を信仰している人々にとっては都合が悪い。そこで、守旧派の影響力を少なくしようという動きを後押しする。

 四番目、ここからは私の邪推なので、公明党支持者の方は目を瞑っておいてほしいのだが、
→(なぞると読めます)
構造改革が進めば、敗者や社会的弱者が大量に発生する。これらの人々は孤立し、精神的支援を求めるようになる。その結果、某宗教団体に入信して救いを求める人が増える。

 ま、いろいろ悪口を書いたが、私の基本的な考えは8月23日の日記に書いた通り。現時点では、公明党の役割もそれなりに評価している。

【思ったこと】
_50912(月)[心理]日本心理学会第69回大会(3)血液型性格判断三昧の一日(3)62本の“血液型”番組の特徴

 日本心理学会第69回大会の参加感想の3回目。今回は9月10日夕刻のワークショップ:

【9月10日 夕刻】ワークショップ 血液型と性格の科学性(話題提供:上村晃弘氏、安藤寿康氏、渡邊芳之氏/指定討論:大村政男氏)

のうち、上村氏の「最近の血液型性格関連説の多様化」という話題提供に関して感想を述べさせていただく。

 上村氏は、サトウタツヤ氏との共同研究として、2004年2月21日以降の約1年間に放映された「血液型」関連番組のうち62本を録画または直接視聴し、その中でどのようなタイプの説明が行われているのかを分類整理した。これには「伝統的説明」(古川竹二や、能見父子の説明)、「脳・糖鎖説」、「気質の3次元説」(大村政男氏によるCloningerの説の援用)など10種類が挙げられる。また、これらの説は、
  • 血液型の4分類を重視するかどうか
  • 科学性を指向しているかどうか
という2次元軸上で4つのカテゴリにまとめることができるという。

 私自身も紀要論文(pdf形式、近々、現行の画像ベースからテクストベースのpdfに変更の予定)の中で、昨年1年間の主な番組を取り上げ、批判的思考(クリティカルシンキング)の教材として役立ちそうな、荒唐無稽な言説に検討を加えたことがあったが、録画できたのはせいぜい10本程度。上村氏らが「62本の録画または直接視聴」という労力を費やされたことには感服した。

 もっとも「伝統的説明」と言っても、その中には種々の言説が混在している。上記のようなカテゴリ分けで、「血液型カルチャー」の盛衰や質的変化がうまく捉えきれるのかどうかは、さらに検討の余地があるように思った。

 また、いくら「血液型」好きな視聴者であっても62本すべてを見ていたわけではない。どのような要因が視聴率アップに貢献していたのか、どういう視聴者層が何に強化されてどういうタイプの番組を見続けていたのか、といった分析も求められる。

 さらには、個人レベルにおいて、特定の番組を視たことで「血液型」についての考えがどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかについても分析が必要かと思う。




 ところで、昨年あれほど賑わった「血液型」関連番組は、「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が2004年12月8日に「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長しないよう」放送各局へ要望した後、急速に姿を消した。今回の「血液型バブル」は完全に崩壊したように見受けられる。

 その原因の第一が、よく言えば「倫理」問題に敏感、悪く言えば事勿れ主義的な放送各局の姿勢にあることは言うまでもない。しかし、もし、視聴者側に「血液型」番組への熱烈な期待があるならば、番組再開運動が起こってもおかしくないはず。そうならずに、大多数の視聴者が番組自粛をすんなりと受け入れたのは、やはりどこかで「血液型を娯楽として扱うのは、偏見・差別を助長するのでは?」という後ろめたさがあったためではないかと思う。

 もっとも、いくらテレビ番組で自粛が続いたとしても、「血液型性格判断」は、「わずか4つのタイプ」という簡便さと、輸血不適合から類推される「顕著な生理学的な差異」の後押しを受けて、今後も巷の俗説としてしぶとく語り継がれることになると思う。それだけに、今後も、批判的思考力の育成と、偏見・差別防止のための適切な監視を続けていくことが必要ではないかと思う。

次回に続く。