じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] イランの海水浴場(カスピ海)。イランでは、海岸が男女別に仕切られており女性は覆いの中で泳ぐと聞いていた。写真左のブルーシートのフェンスはそのためにあると思われるが、遠くからは丸見えであり、かなり形式的なものではないかとの印象を受けた。

また写真右のように、海岸によっては家族連れが一緒に泳いでいるところもあった。日本ではごく当たり前であるが、イランでこういう風景に出くわすと、混浴露天風呂に入っているみたいな気分になり赤面してしまう。



8月26日(金)

【ちょっと思ったこと】

年金問題よりも生涯現役保障が大切

 今回の総選挙の争点の1つとして年金問題があるそうだが、私は、年金の額や財源をどうするかというよりも、「定年」後のお年寄りの働く機会をどう保障するのかということのほうが遙かに大切ではないかと思っている。

 私自身もあと12〜13年で年金を受け取る(はず)の身の上であるが、定年になった時に「あなたはもう働かなくてよい。お金を支給するから好きなことをして暮らしなさい」と言われても、ゼンゼン嬉しくないし、老後の幸せを享受できるとは到底思えない。その時の健康状態にもよるが、幸せの基本は「生涯現役」だ。職種は変わるかもしれないが、とにかく、自分のできる範囲で働き、その仕事の質と量に応じて報酬を受け取り、何らかの形で周囲に貢献していくことが生きがいになると考えている。もちろんそのうちいずれは寝たきりになるかもしれないが、その場合の保障はむしろ医療費無料化や介護保険に頼るべきもの。とにかく、健康なお年寄りに一律にお金を支給するような制度は、働くことの喜びを奪う。スキナーも言うように、真の幸せは、モノやお金を手にしていることではない、何らかの形で報われるような能動的な行動の中に見出されるものである。

 もちろん生涯現役といっても、歳を取れば知力・体力とも衰えていくものである。その部分をサポートする施策は必要かと思う。また、「お年寄りでもできる仕事」は決して単純な軽作業であってはならない。主体的に参加でき、過去の経験がある程度活かされ、かつ、積み重ねにより達成や完成に結びつくものでなければ働きがいには結びつかない。若者の働く機会を奪わずに、お年寄りがのびのびと仕事に取り組める労働機会をどう保障するかは、年金の財源確保以上の難題かもしれない。

 お金は受け取らずボランティア活動をしていたほうがいい、というお年寄りも居るかもしれない。それはそれで認めればいい。但し、生涯現役の仕事の大部分は、直接か間接かの違いはあれ、仕事の質と量に応じて報酬を受け取るしくみになっている。「ボランティアだけが尊く、お金を受け取る労働は個人主義だ」という考えは断固として改めるべきである。生涯現役の漁師さんは魚を獲ることで報われる。生涯現役のお百姓さんは、作物を収穫することで報われる。同じように、企業で長年活躍してきた人が定年後に中学・高校で進路指導やスクールカウンセラーにあたる場合でもそれなりの謝金を受け取るべきであろう。なお、受け取る「お金」としては、国家通貨のほか、地域限定のボランティア通貨のようなものであってもよい。このあたりの議論は8月21日の日記を参照されたい。




クールビズは子どもの教育に有害か

 8月27日の朝日新聞に、「クールビズは子どもの教育に有害です」という全面広告があった。関東地方の某私立中学の広告である。なぜクールビズが有害なのかは広告だけからは読み取れないが、“日本の歴史と伝統をふまえ、「形・姿を正した」教育を行います。”と書かれてあったことからみて、どうやら、「クールビズは形・姿を乱している」という暗黙の了解のもとで考案されたキャッチフレーズであるように理解した。

 しかし、クールビズってそんなに悪いものだろうか。発端は、地球温暖化防止のための省エネ策にあったはずだ。形ばかりにこだわって、背広・ネクタイ着用でエアコンをガンガン使うよりは、地球環境第一の軽装化のほうがはるかに大切なことではないかと思う。また、もし、「日本の歴史と伝統をふまえ」を重視されるなら、背広・ネクタイではなく、日本古来の浴衣やふんどしを着用した教育を行うべきであるようにも思う。

 念のため当該の中学の公式サイトにアクセスしてみたが、この学校は英語教育を重視しており、英国でホームステイを含む英語研修を行うプログラムもあるとか。それはそれで結構だと思うが、日本の歴史と伝統をふまえるというのであれば、日本人が誇りを持てるような英語教育をまず第一に考えるべきだと思う。それは決して、ネイティブの物真似であってはならない。このことは、少し前にこちらの論文で取り上げたことがあった。

 なおここに書いたことは、新聞全面広告のキャッチフレーズに対する素朴な疑問を表明したにすぎない。広告主を誹謗中傷する意図は全く無いので念のためお断りしておく。