じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] オミナエシ。2000年6月25日2003年6月25日2003年7月6日の日記に関連記事あり。2000年の時の記録からみて、1998年に植え付けた7年ものの苗ということになる。白い花は白蝶草。



7月2日(土)

【ちょっと思ったこと】

その後の大雨

 中国・四国地方では渇水から一転して大雨となり(←岡山の梅雨入りは実質的には6月30日であったものと思われる)、現在も断続的に降り続いている。中国地方県庁所在地の72時間積算雨量は7月3日朝6時現在で
  • 鳥取県鳥取 47.0
  • 島根県松江 153.5
  • 岡山県岡山 81.5
  • 広島県広島 171.0
  • 山口県山口 168.0
  • 香川県高松 138.0
  • 徳島県徳島 66.0
  • 高知県高知 74.0
  • 愛媛県松山 143.5
となっている。リアルタイムレーダーによれば、四国山地でもかなり強い雨が降っており、水不足の解消に貢献できそうだ。

 もっとも、降り続く雨のおかげで、8月中旬のイラン最高峰登頂に向けてのトレーニングができなくなってしまった。本当は文学部の5階までの階段を上り下りするだけでもよいのだが、高低差15メートルとすると、1300メートルの標高差を想定した訓練のためには87回も上り下りを繰り返さなければならない。これはかなりメンドイし、みっともない。

 あっ、そうか。二号館の非常口階段だったらあまり目立たないかも。登山靴を履いて30回ほど往復してみるかなあ。

【思ったこと】
_50702(土)[心理]鉄人レースに挑む82歳

 7月1日(金)に放送され、DVDに録画しておいた、NHKふるさと発「情熱 燃やしてこそ人生〜鉄人レースに挑む82歳〜」を視た。なおこの番組は中国地方向け限定のローカル放送版、いずれ、全国版として放送されるのではないかと期待している。

 今回の話題は、岡山県津山市在住の中尾友一(ともいち)さん。中尾さんは国内最年長のトライアスリートである。少し古いがMulti Sports Portal Web Sight(MSPO)に紹介記事があった。中尾さんは、放送収録時点までで135回のトライアスロン大会に参加し、リタイアは2回だけ。体力・筋力の衰えと闘いながら、常に完走をめざすことが最大の目標となっている。

 中尾さんがトライアスロンを始めたのは何と63歳から。中尾さんは、もともとはスポーツに無縁であり、50歳の時に脱サラで塗装会社の経営を始め、50人を擁する規模に成長させた。ところが、60歳の時に胃がんが発見され、会社をたたんで胃の2/3を切除する大手術を受けた。その後、63歳の時に生前葬を行い、一番過酷であるという理由からトライアスロンへの挑戦を始めたという。人間はどうせ死ぬ。その時の生き方としては
大事に生きようとするもんと、そうでない、それに向かおうとするもんと、ふた道に分かれる
というのが中尾さんの考えである。なお、ここでは、「大事に生きる=身の安全を考えて平穏に生きる」、「向かう=それに立ち向かっていく」という意味で使われており、中尾さんは後者を選んでいると解釈できた。

 中尾さんはまた、トライアスロンを「生きる力じゃ、生きとる証しじゃが」ととらえており、サムエル・ウルマンの『青春の詩』の座右の銘にしておられるという。
年を重ねただけど人は老はしない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増やすが、情熱を失えば心はしぼむ。
 なおこの詩の訳は、ネット検索でも容易に閲覧できるが、著作権の問題があると困るのでここではリンクしない。




 中尾さんの人生観は生涯現役主義であり、理想を持ち続けて行動することそれ自体が生きる証しになると考えておられるようだ。番組を拝見する限りでは、中尾さんの情熱は、トライアスロンの完走ということにある。これは毎回の挑戦であって、別段、通算1500回、2000回、...を目ざすというものでもないし、連続完走記録や記録の向上を目ざしているわけでもない。毎年、トライアスロンの大会は全国各地で何回か開かれているので、リタイアしても次の大会で再び挑戦というように目標を保持し続けることができる。連続記録樹立を目ざしているわけでもないので、失敗してもダメージは少ない。このことが、弛まず挑戦し続けることを支えているものと思う。

 とはいえ、体力・筋力の右下がりの衰えに立ち向かうのは大変なことだ。また、中尾さんの場合は、皮下脂肪が殆ど無いため、水泳での体温の保持が別の難題となっている。

 これから先のことは、もはや、個人個人の人生観、価値観の違いということで、何もコメントできる立場にはないが、私自身であれば、はるかに、日和見的な軟弱路線を辿ることになるかと思う。年相応に目標レベルを下げる、というように。

 6月26日の日記に、これから先に登ってみたい山のリストを挙げてみたが、私の場合、歳を取るにつれて、高い山から低い山へ、健脚向きから軽ハイキングレベルへと、すこしずつ目標を下げようと考えているところだ。

 そういや、Web日記仲間のぴったんこさんなどは、老後はどうするつもりなんだろうか。ま、まだお若いから、当分は、右上がりの目標設定でチャレンジを続けて行かれるのだろう。