じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 植え替えと台風被害で枯れ死した二代目に代わって植えられた、三代目「六高菊桜」が初めて花を開いた。左の写真の左上は2004年4月30日に撮影した二代目(背景は移築前の岡大事務局)。三代目のほうが花びらが白っぽいように見えるが気のせいだろうか。
右の写真は、三代目が植えられた直後の様子と説明看板(2004年12月21日撮影)。古い説明看板の写真はこちらにある(1998年4月撮影)。どこが書き換えられているか分かりますか?


4月24日(日)

【ちょっと思ったこと】

中国銀行は中国でなんと呼ぶか

 岡山には、中国銀行という名前の銀行がある。2000年9月16日の写真にも掲載したように、中国にある中国銀行とイメージカラーもよく似ているが、中国では、岡山に本店を置く中国銀行のことをどう呼んでいるのか疑問に思っていた。

 数日前、反日デモの影響を特集した番組の中で、上海に事務所を置く日本企業が対応が紹介されていたが、その時たまたま、中国銀行が「日本CHUGOKU銀行」と表示されていることに気づいた。なるほど、いくら日本国内で商標権があっても、さすがに「中国銀行」は名乗れないのだろう。

 岡山ではもう1つ、広島に本社を置く中国新聞がよく知られているが、こちらのほうは中国でなんと呼ばれているのかは不明。

 なお、中国で買った世界地図によれば、日本の中国地方はそのまま「中国地方」と記されている。

【思ったこと】
_50424(日)[教育]中山文科相の教育観(1)

 4月24日の朝日新聞に「ニュースに迫る 中山文科相の教育観」と題するインタビュー記事が掲載されていた。

 中山成彬(なりあき)氏が文科相に就任された時、失礼ながら私には、前内閣官房参与の中山恭子氏のご主人であるということを除いて、どういう方であるのか、全く情報が無かった。しかし、就任後、矢継ぎ早に「ゆとり教育」見直しの旗を振り、4月21日に行われた水戸市の茨城大学付属中学校での「スクールミーティング」では、「ゆとり教育の見直しで教科書のページ数も元に戻りつつある。(薄い教科書の)皆さんには申し訳なく思う」と「中学生に謝罪」(←新聞の見出し)するなど次々と「発言録」を重ね、改造小泉内閣の注目の閣僚のお一人となっている。

 今回の記事では、「農家出身一本気」であり、祖父に「西郷さんのように、世のため人のために働き、赤じゅうたんを踏む人間になれ」とひざの上に乗せられた言い聞かせられたことが強い影響となったことや、小学校時代の校内マラソン大会で担任の先生が先導して走っている時
中山少年は「先生、遅いわ、おれが先導する」。
 「皆があなたみたいに体力があるわけではない。遅れた子はどうするの?」と聞くと、「先生が先導すればいい」と答え、どんどんピッチを上げた...
というようなエピソードが紹介されていた。なるほどそういう環境の中で「切磋琢磨」、東大から大蔵省入省、総選挙、そして大臣、...という「競争心で勝ち組」の道を進んで来られたことは、教育観にも大きく影響を与えているのだろう。そんじょそこらの二世議員とは違った気概が感じられる。

 もっとも、これからの教育改革が、大臣の個人体験だけで方向付けられるようでは困る。ゆとり教育の功罪についても、また、
  • 公教育の全体的なレベルアップと、エリート育成教育
  • 自己中心的利己主義克服
  • 競争原理の本質
  • 国家百年の大計
  • 政治主導の教育改革の限界
などの諸問題についても、データや現場の声を重視し、かつ、長期的な視点に立った改革の先頭に立っていただきたいと願う次第である。

 この記事については、まだいくつか感想を述べたいとことがあるが、時間が無くなったので次回以降に。