じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡大・本部棟近くに咲く彼岸花。過去の日記を調べてみたが、秋分の日の一週間前に満開というのは、ちょっと開花が早いように思う。これほど暦に正確な花が、なぜ早く花を咲かせたのか、謎である。


9月15日(水)

【ちょっと思ったこと】

国立国会図書館とキリスト教奉仕団

 国立大学法人化に伴い、個人研究費で支出するすべての項目(←旅費やアルバイト代を除く)は教員個人の手でWeb登録しなければならなくなった。この登録システムは、必ずしもユーザー・フレンドリーとは言えず、最初の頃は、数百円の物品の登録を完了させるのに1時間以上を費やしたものである。

 この登録の過程で気づいたことだが、国立国会図書館に文献複写を依頼した場合は、国ではなく、「社会福祉法人 日本キリスト教奉仕団」というところにコピー代金と郵送料を支払うことになっているようだ。たぶん、国会図書館のほうが複写業務を民間委託したためであろうと思うが、支払先を初めて見た時には、なんでキリスト教奉仕団体にお金を払わなければならないのだと、ビックリしたものだ。

 それはそれとして、文献複写とWeb入力は、金銭的にも時間的にもずいぶん無駄が多い。100円にも満たない複写代金を支払うために、4倍もの郵送料がかかる。しかも、図書館からはそのたびに、Web入力依頼書と、登録完了を契約課に報告するための書類が送られてくるのだが、その用紙の紙代のほうが、複写文献の紙代より高いのではないかと思いたくなる。加えて、Web登録の際には、どういう文献の複写依頼をしたのか、いちいちタイトルを手入力しなければならない。この時間も相当の無駄だ。

 こうした無駄を避けるには、各種学会・学術団体の出版物、あるいは大学紀要等については、電子媒体化を積極的に推進する必要がある。もっとも、外国企業に血税を貢ぐような電子ジャーナルシステムには断固として反対だが(7月21日の日記参照)。

【思ったこと】
_40915(水)[心理]日本質的心理学会第1回大会(5)工学と質的心理学の弁証法

 日本質的心理学会第1回大会の感想の5回目。

 15時40分から17時10分までは、3つの会場に分かれてワークショップや講演、対談などが行われたが、私はそのうちの

●講演と対話:工学と質的心理学の弁証法─質的研究にかかる期待と不安、そして展望
塩瀬隆之・佐伯胖・大谷尚

に参加した。

 この講演・対話の内容は、日記才人登録のNEW ひとりのりつっこみ日記を執筆されている村上正行氏も取り上げておられ(9月11日付)、そこでは村上氏御自身がまとめられた概略も記されているので、ご参照いただきたい。

 さて、この企画では、塩瀬氏の「壮大な」構想が披露され、それに対して、佐伯胖氏、大谷尚氏という超豪華ゲストがコメントをするという形がとられていた。何はともあれ、佐伯氏や大谷氏のコメントを直々にいただけるというのは、まことに恐れ多いことである。

 以下、私なりの感想を述べさせてもらうが、私の受け止め方はやや辛口である。じっさい、塩瀬氏のテーマは「工学と質的心理学の弁証法」というものであったが、発表を伺った限りでは、

●なるほど、あなたのご指摘はそれぞれもっともだ。だけど、どこが質的なの? どこが弁証法なの?

という感想を持たざるを得なかった。たぶん限られた時間の中で、言いたいことを何でもかんでも伝えようと頑張りすぎたためではないかと思う。

 塩瀬氏はまず、効率性・経済性・利便性・技術至上主義・ユビキタス等を優先してきた工学研究に疑問を投げかけられた(「技術的合理主義の中心で質的研究を叫ぶ工学」)。人間と機械の従来型のコミュニケーションは言わばATMのようなもの、しかし、ATMは人を癒してくれない。便利な世の中は人を幸せにしてくれるのか、といった内容であった。これらはまことにもっともなご指摘であるとは思う。

 しかし、このこと、イコール、質的研究には必ずしも結びつかない。これは例えば、交換価値重視、利潤追求の経済システムに対して「あたたかいマネー」としての地域通貨導入を主張しているようなものである。地域通貨の大切さは納得できても、だからといって、質的方法でなければ地域通貨の研究ができないということには必ずしもならない。

 次に挙げられた「ペットロボットは人を癒せるか」という話題も、必ずしも質的研究の必然性を説くものではないように思う。

 「知覚は必ずしも行為に先行しない。知覚とは能動的な探索過程である」という考え方は、オペラント条件づけや随伴性概念を知っている人ならあたりまえのことだ(そう言えば、今年の日本行動分析学会第22回大会でも、「知覚知覚知覚行動行動行動」(←実際はフォントサイズの異なる、同じ語が連なったタイトル)という実行委員会企画シンポジウムがあった。残念ながら私は居合わせなかったが、久保田新氏、境敦史氏、鹿取廣人氏から斬新なアイデアが提供されたものと思う)。

 昨日の行為論のところでもちょっと述べたが、オペラント条件づけや随伴性の概念は、そうやら工学の研究者や若手の認知心理学者には全く浸透していないようだ。もしかすると、その一因は、かつて、『人工知能学会誌』で行動分析の基本概念が、かなり誤解・曲解された形で工学研究者に紹介されたためかもしれない。その紹介者は実は、佐○胖先生であり、私自身何度かご批判申し上げているところである。

 もう1つ、今回の大会では何人かの方が「弁証法」という言葉を口にされていたが、少なくとも私は、そんな恐れ多い言葉を軽々しく口にはできない。弁証法と言っても、ヘーゲルもあればマルクスもある。それを説明概念として使うのか、単に、アナロジカルに使うのかにもよるが、もう少し厳格な定義づけをする必要があるように思った。

 ま、いろいろ疑問は呈したが、配布資料を後から拝見してみるに、塩瀬氏の話題提供はたぶん、自由度の高いオープンな調査法としての質的研究手法を活用し、徒弟制による熟練技能継承のプロセスを明らかにしていこうということに主眼があったものと思われる。であるならば、今回の御講演でも、そのことに的を絞り、具体的な研究成果の事例を1つ2つ紹介されたほうが分かりやすかったのではないかと思ってみたりする。

 佐伯氏や大谷氏のコメントについては、NEW ひとりのりつっこみ日記(9月11日付)でも紹介されている通りである。その中にもあるが、佐伯氏のケータイの話はなかなか面白かった。ヒューマンインタフェースの観点から言えば、ケータイのボタンでメイルを送るなどというのは不便このうえない。ところが今や、小中学生でも平気で使いこなしているし、交通事故で入院中の学生がケータイを使って論文を書いたというエピソードまであるとか。要するに、社会的文脈やコミュニティ内での利便性を抜きにしては語れないということである。

 大谷氏のコメントの中で、「最適化はウソ、マネジメントはやりくりだ」という話が出たような気がするが、記憶が定かではないので、また別の機会に。