じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 8月11日に引き続き、岡大本部棟の真上に昇る日の出。8月13日5時35分撮影。上部に11日5時34分撮影の写真を重ねてみた。わずか2日後であるが、日の出の位置が南側にずれていることが分かる。なお、本日朝の太陽の中央よりやや右寄りのところに肉眼で黒点を確認することができた。こちらの画像にも、ほぼ同じ位置に黒点が写っており(日の出時なので、W方向が真上となる)、7月23日に続いて、二度目の、「肉眼黒点」を肉眼で目撃することができた。太陽の対地球自転周期は27.3日なので、先月現れた黒点と同じものであるとするにはちょっと早いようにも思う。あとで詳しく確認してみたい。


8月12日(木)

【ちょっと思ったこと】

ペルセウス座流星群2日目/金星の明るさ

 12日の0時半頃に一度外に出てみたが、暗い流星が1個流れただけだった。

 そのあと、4時に起きて、いつもより1時間早く朝の散歩に出てみたが、4時6分頃にかなり明るい流星が1個、天頂から北方向に流れただけに終わった。

 昨日にくらべると空全体にもやがかかっていて、全体的に3等星がやっとこさ見える程度であった。

 ところで朝4時頃の東の空には、金星がひときわ明るく輝いている。13日の朝などは、近くにある月齢26.3の月より明るいのではないかと見えるほどだった(実際はマイナス7等程度、金星のほうはマイナス4等程度)。

 このことで、金星というのは、「宵の明星から明けの明星」に変わる前後の時のほうが、「明けの明星から宵の明星」に変わる前後より、遥かに明るく、また動きが速いということに、ふと気づいた。理由は簡単、前者の時は金星が地球の内側の軌道を追い越すのに対して、後者の時は太陽の向こう側を通るため距離が離れるためである。ということもあって、今年の金星は、ひときわ明るく見えるのだろう。

【思ったこと】
_40812(木)[教育]命の大切さを教えることの難しさ

 12日朝のNHKニュースで「命を大切に 授業を実践研究へ」という話題を取り上げていた。佐世保市の事件を受けて文部科学省は現在、作業チームを作って対策を検討しているが、「命の大切さ」や「死の重さ」というのは、言葉で分かっていても、十分身についていない側面がある。そこで、子どもを亡くした親や医師や看護師など命の大切さを自らの体験として語れる人を小中学校に招いて授業をしてもらうなどの実践的な研究に取り組むことになった。また。自分の気持ちを言葉にして相手に伝える力を育てる一環として、学校の中でロールプレイやゲーム、それに劇などを行うことによって、自分の気持を相手に伝える力を育てられないか、具体的な方法についても同じくモデル地域を指定して実践的な研究を行うという。

 命の大切さを教える教育自体の必要性は分かるし、そのために、多種多様な研究に取り組むことも重要であるとは思うが、うーむ、これはなかなか難しいことだと思う。

 ところで、ニュースで紹介された取り組みは、
  1. 子どもを亡くした親や医師や看護師などによる体験談紹介授業
  2. 自分の気持ちを言葉にして相手に伝える力を育てる
という2つに大別できる。もちろん両者の連携は必要だが、これらは基本的には別々。2.については、コミュニケーションスキル、ソーシャルスキルといった枠組みで総合的に取り組んでいくべき課題ではないかと思う。

 一方、前者、つまり真の意味での「命を大切に」するための授業であるが、これもまた、すべての人間の命を大切にするのか、仲間内(家族、地域、国、宗教、民族、人種...)の命だけを大切にするのか、によって教え方が変わってくるだろう。

 仮に地球上のすべての人間の命を大切にするということになると、真っ先に否定されなければならないのは戦争である。ところが、イラクでは、相変わらず激しい戦闘が続いており、11日から12日夕方までには、合わせて170人余りが死亡したなどと伝えられている。とすると、是非はともかく、現実的に教えられるのは、
  • 仲間内の命だけは大切にしましょう。
  • あなたは一人ぼっちではなく、多くの仲間に支えられています。
という、限定的な「命の大切さ」だけということになる。

 さて、子どもを亡くした親や医師や看護師などによる体験談は有効な教育になるのだろうか。しかしこれもまた疑問に思うことがある。犯罪を犯すような児童や生徒には、そういう気持ちが伝わらないのではないかと思わざるを得ないからである。

 相手の気持ちが分かる子ども、命の大切さをある程度感じている子どもであるならば、そういう体験談は大きな感動を与えることになるだろうが、他者の死に無関心、何事に対しても「So what? だからどうだっていうんだ?」という受け止めしかできない子どもには、無理やり聞かされているだけの退屈な授業に終わってしまいそうな気がする。2.のほうのロールプレイイングなども、効果の及ぶ範囲は限定的ではないかなあ。といって、名案が浮かばない以上、やるっきゃない。このあたりが辛い。




 ところで、いま上に述べた、「すべての人間の命の大切さ」と「仲間内の命の大切さ」の違いの件だが、これは、仲間内、つまり集団というものが、何のために存在しているのかに大きく関わっているように思う。戦友の絆としてしばしば語られるように、集団内における連帯感や、仲間を大切に思う気持ちというのは、しばしば、その集団が、他の集団と戦っている時に、強く形成されるものである。この場合、「仲間内の命の大切さ」は決して「すべての人間の命の大切さ」には般化されない。また、「仲間内の命の大切さ」というのは、同時に

●集団のために自ら犠牲になることは尊いことだ

という自己犠牲精神を高揚させるため、「命の大切さ」に例外を作ることになる。

 もっとも、集団といっても、常に他集団と争うわけではない。内部閉鎖型の互助組織的な集団というのもあるし、また、宇宙人が攻めてきたような場合には、地球人全体が団結するという可能性も無いわけではない(←ま、現実には自分たちの集団だけ生き残ろうとするだろうが)。

 いずれにせよ、集団と個人という関係性を抜きにして普遍的な「命の大切さ」を教えることはなかなか難しいのではないかと思わざるを得ない。