じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 雨上がりの芝地で、ネジバナがいっぱい花を咲かせていた。中には、2本の花穂が寄り添うように咲いている株もあったが、夫婦の世界同様。同じ方向にねじれている株もあれば、正反対の方向にねじれている株もあり興味深い。なお、ネジバナの巻き方については1998年6月4日の日記に引用したことがある。一部を再掲すると
朝顔などと違ってなぜ両方の巻き方があるのかについて,以前にニュースグループに質問を出したところ,東北大の小波先生が投稿された“ネジバナのらせんの生成機構に関する岡上先生の観察記録”という記事を別の方から転送してもらうことができました。基本的には比率は1:1で,その生成機構ははっきりわからない,“郡場寛(こおりばひろし)という昔の京大の人が何十年も前(1928年頃)に調べてペーパーになっている筈”だが当該の論文は入手できなかったという内容でした。


6月28日(月)

【ちょっと思ったこと】

奇怪なテレビ番組誌

 大学の教務の窓口付近に『2週間分のテレビ番組を掲載! テレビ番組誌 <参議院選挙版>』という無料誌が山積みになっていた。発行は、なっなんと総務省・中央選挙管理会となっていた。

 無料誌の表紙はこちらのポスターとほぼ同じで「日本に関心を持てるのは、スポーツだけですか?」となっている。表紙を含めて5ページ目までと巻末の3ページ分が選挙の公報、残りは6/28から7/11までのテレビ番組表(たぶん、岡山&四国エリア)が見開きで掲載されていた。番組情報制作は角川書店。

 なるほど、こういう形で広報すれば、7/11までは手元に冊子を置いておくはず。そのあいだに、選挙のしくみや投票方法などの記事も読んでもらえるというわけか。

 しかし、そこまでお金をかけて、投票を呼びかける必要はあるのかなあ。有権者宛には投票所入場券が郵送されているのだから、少なくとも一度は選挙があることを直接伝えられている。関心の無い人、あるいは何らかの理由で投票しないと決めている人はほうっておけばよいようにも思える。

 あと、「日本に関心を持てるのは、スポーツだけですか?」とあるが、私自身は、大リーグの日本人選手には全く関心がないし、オリンピックだって、時間が余っていれば視ようかなあという程度。有権者の大半が、選挙には無関心、関心があるのはスポーツだけというような決めつけをされるのは迷惑だ。

【思ったこと】
_40628(月)[心理]老後の備えに関する政府への信頼度調査というが

 6/28の朝日新聞に“老後の備え 日本政府信頼「0%」 1位は中国24% 米の会社が調査”という記事があった。
「退職後の備えについて、政府を完全に信頼できる」と考える人の割合はトップの中国が24%、インドが21%に対し、日本はO%-----。
という米金融サービス会社の調査結果を紹介したもの。当日朝の民放番組でも、同じ話題が取り上げられ、日本はダメですねえ。高齢化や少子化という変化への対策ができていないなどとコメントされていた。

 しかし、
  • トップの中国が24%、インドが21%、日本は0%
  • 「不安のない老後を迎えるために、政府は役割を果たしているか」との質問に、「よくやっている」と答えたのは中国61%、インド52%に対し、日本は8%
といった国際「比較」にどれだけ意味があるのかは甚だ疑問である。

 この種の世論調査でいちばん厄介なのは、それぞれの国でサンプリングがちゃんと行われているのだろうかという点だ。

 記事によれば、この調査は、プリンシパル・ファイナンシャル・グループがアジア、欧州、南北アメリカの12カ国・地域の約500人ずつに面接調査した結果だというが、人口13億の中国や10億のインドでどうやって500人を無作為抽出できるのだろう?。

 じっさい、中国はとにかく広い。北京から西北部のウルムチまで飛行機で行くには、北京〜大阪(関空)以上の時間がかかる。チベットの山奥まで「面接調査」に行くには何週間もかかる。そんな中からいったいどうやって500人を無作為抽出できるというのだろうか。

 世界で2番目に人口の多いインドも同様である。インドは20年以上前に一度訪れただけなので最近の様子は知らないけれども、少なくとも20年前には、まだまだ大通りの緑地帯で寝ている人たちがいた。そういう人たちも面接対象になっているのだろうか。

 というように考えてみると、「中国が24%、インドが21%」というデータは甚だ疑わしい。




 もっとも、この調査結果にもそれなりの情報的価値がある。
  • 「退職後の備えについて、政府を完全に信頼できる」と考える人の割合は、日本ではは0%
  • 「不安のない老後を迎えるために、政府は役割を果たしているか」との質問に、「よくやっている」と答えたのは、日本では8%
というデータは、外国での調査結果の信頼性の有無とは無関係に活用できるからだ。

 この場合、日本人全体を母集団として、信頼度の比率を推定しようというなら、中国やインドと同様、500人分を厳格に無作為抽出する必要があるだろう。

 しかし、論点が異なるならば、500人分は必ずしも無作為に選ばれなくてもよい、渋谷駅周辺を歩いている500人に次々と質問しても構わないのである。例えば、何かの政治討論会で、「日本人の大多数は政府の高齢化対策を支持し、政府を完全に信頼しています」と主張する政治家が居たとする。この場合、渋谷駅周辺をたまたま歩いていた500人に訊いてみてもやっぱり「信頼している」という答えが多かった、という調査結果が得られないと主張は説得力を失うことになる。もし、「信頼している」という答えが0%であったなら、なぜ渋谷駅では信頼しているが多数でなかったかということについて主張者は説明責任を求められることになるだろう。

 余談だが、同じロジックは、血液型性格判断に関する調査についても言える(6/19の日記参照)。例えば、「A型者は几帳面かどうか」を学術的に調査するのであれば、対象者数を十分に確保し、厳密なサンプリングを行い、かつ、一貫性のあるデータを示していくことが必要であろう。しかし、ただ単に、実用上の観点から「A型者は几帳面だ」という主張の無用性を示すだけであるならば、そんなに大規模な調査をする必要はない。公開講座の受講生100人を対象に「几帳面かどうか」の調査を行い、血液型の違いによる顕著な偏りが無いことを明らかにすればそれで十分なのである。そこで導き出される結論は、「A型者が几帳面だと言い切れるのなら、今回調査した100人についても明瞭な差が現れるはずである。しかし、実際には顕著な差は現れなかった。よって、血液型人間学者なる者が主張しているほど、血液型による差違は明確ではない。そんな状況のもとで、“A型者は(非A型者に比べて)几帳面”などと吹聴するのは無責任きわまりない」ということである。くれぐれも、「A型者は必ずしも几帳面でないと実証された」などという結論ではない点に留意してほしい。かつて、長崎の医療短大時代に行った調査などもこのロジックに基づくものであり、私自身が書いた論文の中でも、こちらのサイトの中でもちゃんとそう言っているのだが、揚げ足取り専門の血液型信奉者も、血液型に否定的な心理学者の一部も、このロジックをちゃんと理解していない模様である。




 元の話題に戻るが、不安のない老後を迎えるために果たすべき政府の役割というのは、単なるお金の配分では決してない。重要なことは、働けるお年寄りにその機会を保証することだ。スキナー(1979)は来日講演の中でこう言っている(佐藤方哉訳、一部略)。
思いやりのある社会は、もちろん、援助が必要で自分ではそれができない人々を援助するでしょうが、自分でできる人々までも援助するのは大きな誤りです。...【一部略】...人権を守るのだと主張している人たちはすべての権利のなかで最大の権利を見逃しています−−−−−それは強化への権利です。
 働くことができ、かつそれを希望する高齢者に対しては、働きがいの得られる機会をちゃんと保障することが政府にいちばん求められているのである。