じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 珊瑚樹の白い花。真っ赤な実がなることから花まで赤色であると思いこんでいたが、実際は真っ白であった。「花=白珊瑚、実=赤珊瑚」ということか。2002年9月3日の日記に、赤い実の写真あり。


6月3日(木)

【ちょっと思ったこと】

リニア彗星見えず

 すでに梅雨入り宣言の出された岡山地方であるが、3日の夜は久しぶりによく晴れ上がった。

 5月中に何度か観察したニート彗星(C/2001 Q4)に加えてリニア彗星(C/2002 T7)も見えるのではないかと、20時〜20時半頃に木星の下のアルファルド(うみへび座の2等星のα星)の付近を何度も探索してみたが、それらしき光を確認することができなかった。すでに南東の空には満月が出現。空全体が明るくなっていたせいもあったかもしれない。ニート彗星のほうも確認できなかった。6/4以降は月の出が遅くなっていくので、梅雨の晴れ間を狙って再度挑戦してみたい。

【思ったこと】
_40603(木)[心理]気楽な老後の迎え方(5)就職問題とマズローのピラミッド

 6/1の日記で、欲求階層説のピラミッドって何かヘンだなあということを書いた。あのピラミッドはマズローの最終結論ではないし、決して実証されたわけでもない。マズロー自身があの三角形をどの程度強調していたのか分からないし、現実には、主張の一部だけが誇張され、社員教育などのために一人歩きしているような気がしてならない。

 にも関わらず、あのピラミッドが重宝がられ、大学入試センター試験問題にまで採用されるというのは、「真っ当」で「前向き」な人間の育成に大いに役立つこと、また、「自己実現」という美しい言葉が直感的に受け入れられやすいためではないかと思う。

 ところで、最近、ゼミの中で、若者の就職問題のことが話題になった。職業教育・進路指導の強化が叫ばれているが、そのような形で本当に「無業者・フリーター」問題は解決できるのか、ということであった。

 この就職問題に限っては、「マズローのピラミッド」は直感的に受け入れやすいモデルになっていると、ふと思った。

 「欲求段階説」のピラミッドは、下から順に
  1. 生理的欲求
  2. 安全・安心の欲求
  3. 所属欲求(愛情欲求、関係性の欲求)
  4. 承認欲求(自己愛の欲求)
  5. 自己実現欲求
などと紹介されているが、職業選択の場合も、戦争直後や大飢饉になれば、まずは

●衣食住に困っている時は、どんな仕事でもよいから、とにかくお金や食物を得るために働きたい

と考えるだろう。そして、そのうち、ある程度生理的欲求が満たされるようになれば、

●なるべく危険の少ない仕事、倒産や解雇の恐れの無い仕事に就きたい

と考えるようになる。それが満たされると、今度は、

●自分を暖かく迎えてくれる職場で働きたい

と願うようになる。さらには、

●その職場の中で自分を働きぶりを認めてもらいたい、あるいは社会的に役立つ仕事をしたい

と考えるようになる。そして、最後が自己実現の場としての就職先を求めるという次第だ。しかし現実はそう甘くはない。衣食住を満たすだけに働くならば就職先はいくらでもあるが、それでは納得いかない。ピラミッドの頂点を目ざそうとすることで逆に迷いが出てくるとも言える。




 ところで、この連載はほんらい「気楽な老後の迎え方」について考えることにあった。マズローのピラミッドは、高齢者福祉や健康心理学でもしばしば「引用」されているが、こういう形でピラミッドの頂点を登り詰めていくこと、あるいは、「自己超越」のような方向に向かっていくことが本当に高齢者の生きがいに繋がるのかどうかは、私は少々疑問に思っている。

 機会保障、権利確保という点から言えば、高齢者の生活環境でピラミッドの頂点まで揃える必要があると主張することは正しい。しかし、本当の生きがいは、ピラミッドの底辺のあたりに求めてもいいのでは、と思ってみたりする。例えば、園芸作業に生きがいを見出すと言った場合、何も、ピラミッドの頂点と関係づける必要はない。ま、自己を越えて大自然との一体感を求めるというなら自己超越と言えないこともないけれど。

 チベットやボリビアの高地を訪れてみると、厳しい大自然の中で、「生きる」ことと「働く」ことが一体化し、自己実現や自己愛なんぞクソくらえという感じで必死に生きている人々に出会うことがある。しかし、そういう人々を、低次の欲求を満たすための気の毒な生活をしていると見なすのは大間違いである。彼らはみなイキイキと、目を輝かせて暮らしているのだ。