じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
文学部中庭の桜の花が開き始めた(2月24日午後撮影)。25日には卒業式があり、花の前で記念写真が撮れそうだ。天気が崩れないことを祈る。 |
【思ったこと】 _40324(水)[心理]質的研究の将来(2)新たな評価軸を作ること/ダイヤモンドの価値 昨日の日記の続き。 さて、サトウタツヤ氏の話題提供では、新たな評価軸を作ることで、これまで評価されていなかった研究を拾い上げることの意義が強調された。これはどういうことを言うのか。タツヤ氏が挙げた事例ではちょっと分かりにくかったので、私なりに別の事例を考えてみるとこんなふうになる。 例えば、「高級温泉」を、源泉の湯温で評価したとする。この場合、温度の高さという一次元だけで評価されるため、15度や20度ではきわめて低いランクになってしまう。そこで、炭酸の含有量という新たな評価軸を設けたとする。15度であっても豊富な炭酸を含む鉱泉は、この評価軸を作ることで拾い上げることができる。同じように、ナトリウム、マグネシウム、....というように種々の評価軸で評価することにより、温泉の効用を多面的にとらえることができるようになるわけだ。 しかし、ここで根本的に疑問に思うのは、何のために評価するのかということだ。3/22の日記にも書いたように、大学の自己評価においても、目的なしにあれやこれやと評価項目を増やしても過重な時間的負担をかけるばかりであり、評価自体が自己目的化してしまう。量的研究であれ、質的研究であれ、「何のため」ということを明示しなければ評価の意味が無いと思う。 これに関連して、別の話題提供者が「ダイヤを見つける」と言っていたことを思い出した。ダイヤモンドのように価値のある情報をフィールドの中から見つけ出すという意味であったようだが、ではダイヤは本当に価値のあるものなのか、考え直してみる必要があるのではないかと思った。 我々がダイヤモンドを欲しがるのは、それ自体の輝きの美しさに加えて
もし、「それ自体の輝きが美しいから」という理由だけで評価するということであれば、それは科学というよりも芸術の世界になってしまう。質的研究が科学的方法である以上、何らかの目的がなければ評価軸を増やすことはできないであろう。但しその中には、生産価値(新たな研究を生み出す力を与えているかどうか)、節約価値(より少ない概念で多くの現象を説明することに貢献しているか)も含まれなければならない。次回に続く。 |