じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 日本発達心理学会の大会会場となった白百合女子大。武蔵野の面影を残す高品位の構内であった。2日目はあいにくの雨。


3月22日(月)

【思ったこと】
_40322(月)[教育]第10回大学教育改革フォーラム(2)「設置基準」、「教授会自治」、教育課程実施責任体制

 3月20日の日記の続き。絹川正吉・ICU学長の基調講演の後半では、戦後の大学教育における「設置基準」、「教授会自治」、そして、大綱化後の新しい設置基準の意味、さらに国立大法人化に伴う教育課程実施責任体制の問題など、大学教育の根幹に関わる話題が取り上げられた。

 絹川氏の御講演はこれまで数回拝聴しているが、今回の内容はやや難解であった。絹川氏の話を初めて聴かれた方は、いったい、絹川氏は教授会自治擁護論者なのか、自己評価否定論者なのか、論点が掴めなかったかもしれない。

 私の理解した範囲で記すならば、絹川氏の論点は要するに、大学教育、特に一般教育(教養教育)に誰が責任を持つのか、その内容はどこで決められ点検評価されていくべきなのかということでなかったかと思う。

 絹川氏(一部、大崎仁氏や西田氏の著作の引用)が指摘されたように、教養部設置を初めとする戦後の大学設置方針は、占領軍の占領政策の中で決められた。その段階でアメリカと同じやり方を踏襲するのであれば。国から独立し大学基準協会をきっちりと組織し、その協会に加盟できるかどうかで優良大学の質を保証するという方式をとるべきであった。ところが、日本の場合、たまたま占領軍担当官の個人的意見が反映したのか、あるいは何らかの別の力が働いたのかは定かではないが、とにかく、設置認可は文部省(当時)の手により行われることとなった。とはいえ、設置基準というのは、新しく設置される大学・学部などにおける物的条件(財産や施設)、人的条件(確保できる教職員の数)などが妥当であるかなどに限った基準であって、教育課程自体は審査の対象にはならなかった。教育課程自体の点検評価は全面的に「大学の自治」に委ねられることになったのである。

 さて、ここからは私自身の考えになるが、大学の自治、特に「教授会自治」は、形式的には、教育・研究の自由を守る上では一定の役割を果たしてきたようにも見える。しかし、現実には、ごく一部の大学を除いて、教授会は十分には機能せず、特に教育課程の点検や改善には消極的にならざるをえない宿命にあった。その根本原因は、大部分の大学教員の関心事が、まずは自分自身の保身(研究環境や雇用環境の保障、自分の専門分野の保身もしくは拡張)という点にあったためである。特に定削や経費節減という外圧がかかってきた時には、もっぱら、痛み分け、棲み分けによって、定員ポストを確保することを最優先に考える傾向にあった。そうした教員が多数を占める教授会にあっては、学部長や学長は、全体的な視点から大学改革に取り組むことができない。へたに強行すると構成員からの支持を失い、再選が難しくなる。「八方美人的」と批判されつつも、学部長や学長は、まずは教員の自己都合に最大限に配慮しなければ自らの地位を存続し得ないという宿命にあったわけだ。西田氏(←絹川氏の引用を長谷川が聞き取った範囲)によれば、どのような現実的な提案も、それが不完全であると論証することによって否認し、より完全なものの可能性を「真理の探究」の如く無限の時間をかけて論じようとする、のが教授会ということになってしまった。

 これらの弊害を取り除く目的で、大綱化が提唱され、組織な自己評価やFDの諸活動が義務づけられ、また大学の種別化が推進されるようになった。とはいえ、大綱化は起爆しなかった。例えば自己評価の場合、自己点検評価報告書の作成自体が自己目的化してしまった。いま話題の、中期計画・中期目標も同じ運命を辿る恐れが皆無とは言えない。

 なお、上記で「設置基準では教育課程は規定されていない」と書いたが、絹川氏によれば、その唯一の例外は一般教育である。すなわち、一般教育に限っては、教養教育に配慮しなければならないことが19条に定められており、この部分のみ本質規定となっているそうだ。

 ま、いろいろな経緯はあるが、旧来の教養部は「設置基準に守られて50年」と言われるごとく法令準拠主義に依りながら存続し続けてきた。教養教育として成果をあげ続けることができたのは、T大の教養学部、あるいはICUなど一部の一流私学だけであったかもしれない。

 このほか絹川氏の講演では「大学は教育機関」が強調された。これは絹川氏の持論であり、私自身も正論であると思う。要するに、大学は組織としては教育機関である。研究をするためには、授業料収入以外から別途資金を導入しなければならないということだ。聞くところでは、かつて教養部が存在していた時代、学生経費の半分(4年制のうちの2年分)が教養部に配分されていたという。共通経費を除いた予算は、教養部教員の研究費として配分される。旧教養部の教室が汚れていたり、設備に不備があったとしたら、それは決して過去の予算不足だけが原因ではない。設備充実に充てるべき学生経費が、教員の個人研究費に「流用」されていたためと言えないこともない。法人化後は、予算配分の決定権は教授会の手を離れ、より全学的な視点から配分が行われていくことになると思うが、これにより教育環境改善がすすむことを期待したい。