じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 水栽培終了後の球根を地面に植えて作った「ヒヤシンス休息所」が見頃となった。枯れ草が有機肥料になったのだろうか、購入した年と同じくらいの花をつけている株もある。


3月18日(木)

【思ったこと】
_40318(木)[教育]産学連携への挑戦:モノづくりからチエづくりへ(3)高齢者が楽しめる遊び場こそ本物

 3月14日(日)に行われた表記シンポジウムの感想の最終回。第三部は、「チエづくりへの期待」というタイトルのパネルディスカッションが行われた。パネラーは高谷(茂男)チボリ・ジャパン社長のほか、地元財界のリーダーや、官界、産学連携担当の副学長など豪華な顔ぶれであった。「一人三役主義」高谷社長のことは1/23の日記にも書いたことがある。じつは、その高谷社長のご尊顔をぜひとも拝見したいというのが、今回のシンポに参加した大きな動機の1つであった。


[今日の写真]  さて、高谷社長は、TVゲームの登場後、おもちゃ産業の60%(←長谷川の聞き取りのため不確か)がその開発に携わるようになり、おもちゃで遊ばない子供が増えてきたこと、また、TVゲームの80%は「やっつけゲーム」であるという問題点を指摘された。おもちゃ王国ではTVゲームは置かず、手作業を主体としているということであった。

 もっとも、2月5日の日記に書いたように、2002年のカセット交換型ゲーム機・ソフトの国内売上高は5013億円で、ピークだった1997年の3分の2。ゲームの購買人口も5年間で約4割減っているという。TVゲームが今の子供の遊びの中心であり続けているのは確かだとは思うが、いったい、今の子どもたちは何に熱中しているのだろうか。いまひとつ実態がつかめない。




 このほか、他のパネラーの方々からも興味深いお話がいろいろあった。記憶に残っているものを列挙させていただくと...
  • 池田綱政と熊沢蕃山のやりとり:干拓は洪水の危険(蕃山)。50年に一度の洪水があったとしても残りの49年間農民を幸せにできるなら干拓をやったほうがいい(池田)。
  • 地域に根ざした歴史や文化。岡山にはAクラスの観光地はあるがSクラスが無い。
  • 3月14日は、「人類の進歩と調和」をめざした万博の開幕日であったが、さてその後どうなった?
  • イタリアは失業率が高いと言われるがミラノは4%。
  • 大名庭園には、田畑(農村を模したテーマパーク)、お茶屋、能舞台の3要素が必要。現存する庭園でこの3つを兼ね備えているのは岡山・後楽園のみ。




 パネラーの方々からも発言があったように、産学連携の取り組みにおいては、「地域」や「文化」が大きな柱となる。そのことと、「チエ」を合わせて考えた時に、私にはどうも主役が忘れられているような気がしてきた。それは、高齢者の役割である。

 質疑の際に私も発言させていただいたが、もともと地域においては高齢者こそがチエの頂点であり、高齢者を通してチエが授けられてきたのであった。ところがテクノロジーの発展により高齢者は疎外され、今では、時代の流れについて行かれない厄介者のように扱われている。核家族化の中で、子どもたちが元気なお年寄りに接する機会が減ってしまった。いっぽう小中学校では介護施設見学をする。これが災いして、かつてのチエ者であった高齢者には「かわいそう、弱い、何か悪いことをして縛られているのではないか?」といったマイナスのイメージさえ植え付けられてしまう。これは何とかしなければならないと思う。

 高齢者と子どもたちは地域レベルでも断絶されている。私の近所に小さなスポーツ公園があるが、そこは金網に囲まれており普段は施錠されている。高齢者たちは時たま子供を閉め出してゲートボールをやる。いっぽう、子どもたちは、高齢者が居ない時に金網を乗り越えて中に入り、ボール遊びなどをしている。これは当たり前の風景のように見えるが、よく考えるとまことに奇妙だ。なぜ、高齢者と子供は一緒に遊ばないのだろうか。ゲートボールなど子供でもできるはずなのに。




 子供を呼び込むための施設というと、金のかかるアミューズメントパークや、TVの人気キャラクターのショーが思い浮かぶが、それらはしょせん「子どもだまし」にすぎない。そういうものばかり揃えてもすぐに飽きられてしまう。またそういう遊園地に高齢者が行くとしたら、たぶん、「孫を遊ばせてやる」ためであり、決して自分が遊ぶためではない。孫の笑顔を見るのもそれはそれで楽しみにはなるが、自分が遊びに行くわけではないのである。だからこそ、子どもが飽きればそれでおしまい。高齢者は二度とそこに行かなくなる。

 しかし、高齢者は何故そこで遊び、楽しんではいけないのだろうか。オーストラリア高齢者福祉の連載にも記したように、少なくともオーストラリアにおいては、「目的をもった遊び」こそが高齢者の生きがいの中心をなすと位置づけている。福祉施設内の狭い部屋ばかりでなく、屋外の広々とした「遊び場」でなぜそれを実現できないのだろうか。高齢者だからと言って、何も、温泉に入って大衆演劇を楽しむだけが娯楽というわけではないだろう。

 王子ファンシーランド、レオマワールド、京山遊園などの赤字・経営破綻施設の立て直しの中で展開しているおもちゃ王国、あるいは、テレビでもたびたび紹介されているチボリ公園再建の場合もそうだが、単に子どもだけが遊ぶ場ではなく、また、子どもを遊ばせるために連れて行く場ではなく、高齢者自身が自分から行って楽しみたいと思うような「遊びの場」をぜひとも作ってほしいと思う。そしてそれは、高谷社長の手でなければ決して実現できないと思う。