じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡山大学でも前期個別学力試験が行われ、約4000人が受験したという。前期で実力が出し切れなかった人も後期にもう一度チャンスがある。4月にまた会いましょう!


2月25日(水)

【ちょっと思ったこと】

人生を一日24時間に置き換えると.../ALS解明

 21日に行われた予選会である学生が「年齢を3で割ると、一日の時刻に置き換えて人生をとらえることができる」というような挨拶をしていた。22歳の学生なら、22÷3=7+20/60、つまりまだ朝の7時20分だから、これから出勤というわけだ。

 しかし、私の年齢である51歳にこれをあてはめると、51÷3=17時となってしまい、これは事務職員の退勤時刻に相当する。これではちょっと空しい。

 年齢を3で割るというのは、24×3=72、つまり72歳を寿命として逆算したことになる。しかしの平均寿命はもうすこし延びているので、このさい、84歳を基準として、84(歳)÷24(時間)=3.5を目安とするとよいのではないかと思う。この場合、51歳ならば14時半すぎ。ここ数日の暖かい陽気だとちょっと居眠りしたくなる時刻ではあるが、まだまだ残された仕事をやりこなす余裕がある。

 人生を24時間に直すという発想は、日常の生活時間というわかりやすい物差しに置き換えて今の自分を位置づけてみるという点で有用であろうと思うが、同時に、人生の終わりを考えるヒントにもなる。

 どんなに医療技術が進んでも、すべての人間は24時までしか生きられないと考えると気が楽になる。人生の22時や23時になったらばそろそろ眠る準備をすればよい。1年、2年と寿命を延ばすことに気を遣うよりも、残された時間をどれだけ有効に過ごすかだけ考えればよい。

 その一方、人生を24時間に置き換えることで、戦争、犯罪、交通事故、難病などによってまだ明るいうちに命を奪われることの無念さがよく分かる。

 2月26日の各種報道によれば、筋萎縮性側索硬化症における細胞死のメカニズムが東大の研究グループによって明らかにされたという。お名前は失念したが、以前、この難病の患者さんが自分の生きざまを短歌に詠み、また治療法開発のための研究助成活動に尽力されていたことをドキュメンタリー番組で視たことがあった。しかしその方も、上記の人生24時間制にあてはめるならばまだ正午くらいで亡くなられた。また、病名は異なるが、パソコン通信時代に私自身も交信させていただいたことのある轟木敏秀さん(98年9月2日の日記参照)が亡くなられたのは、午前10時前にすぎない。今回の発見が治療法開発につながり、すべての人々がせめて人生24時間制の22時か23時まで生きられるようになることを期待したい。