じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  道路の割れ目で名残の花を咲かせる朝顔。農場の柵には青花の朝顔が雑草化しており、たまたま割れ目にこぼれた種から蔓を伸ばしたようだ。


9月28日(日)

【ちょっと思ったこと】

火星、水星、木星、土星

 夕食後の散歩時に毎日火星を眺めている。大接近時に比べると明るさはマイナス2.9等からマイナス2等に、視直径は25秒角から20秒角へと、数字の上では「衰え」が目立つようになった。とはいえ、秋空で空気が澄んできたせいだろうか、あるいはいくぶん高度が上がってきたためだろうか、明るさはいっこうに衰えないように見える。

 ところで9月27日は、水星が西方最大離角を迎えた。29日の朝、いつもよりちょっと早い5時半すぎに散歩に出かけてみたが、明け方の空はすでに明るみを増しており、やや高い位置に明るい星が1つ、その星と地平線との間に、薄明にかき消されそうな星が1つ見えた。この時期の東の空は、土星(赤経6h54”、赤緯22度、明るさ0.1等級)、木星(赤経10h35”、赤緯9度51分、明るさマイナス1.8等級)、水星(赤経11h12”、赤緯6度22分、明るさマイナス0.5等級)と3惑星が右から左に並んでおり、その位置関係がうまくつかめなかった。明日の朝、もう少し早起きしてみようと思う。なお、金星はこの時期は日没時、西の空低い位置にある。これから年末にかけてぐんぐん高度を増し、宵の明星にふさわしい明るさを取り戻すことになる。




夢路いとしさん

 漫才界の長老、夢路いとしさんが25日、自然気胸に肺炎を併発して亡くなったという。78歳。夢路いとし・喜味こいしさんのことは6/28の日記に書いたことがあった。私にとっては、これが拝見した舞台として最後のものになってしまった。NHK「生活笑百科」でも笑わせてもらったが、個人的には、子どもの頃、何気なく視ていた「がっちり買いましょう」の記憶のほうが大きい。ご冥福をお祈りします。




赤ワインのアルツハイマー防止効果

 赤ワインを飲んでいる人がアルツハイマー病にかかりにくいというニュースは前にも聞いたことがあったが、9/29の朝日新聞によれば、金沢大のグループが実際にその効果を確認したという。専門的なことは分からないが、ミレセチンなどのポリフェノールに、アルツハイマーの原因物質の1つとみられるβアミロイドを分解する効果があることが実証されたようだ。しかし、効果を発揮する量は赤ワイン約500cc分であり、1日の適量の倍以上になるという。

 私自身は、赤ワインもビールも日本酒も日頃は全く飲む習慣がない。ワインで多少気になるのは、酸化防止剤などの添加物だ。アルツハイマー防止効果以上に悪影響をもたらすように思えてならない。記事にもあったが、もし特定成分の薬効が確認されたなら、ワインではなくサプリメントとして摂取したほうが健康維持にプラスになるように思える。
【思ったこと】
_30928(日)[心理]植物の療法的利用の可能性セミナー(3)治療、療養、養生、保健、自然

 公開セミナー「人と植物の触れあいにみる植物の療法的利用の可能性」の参加報告の3回目。講演の後半に行われた、

●「園芸の療法的利用の可能性について」 山根寛・京都大学医療技術短期大学部教授

について引き続き感想を述べたいと思う。

 山根氏は、療法の位置づけとして、治療、療養、養生、保健、自然の5階層を示し、療法は、そのうちの治療と療養に関与するものであると指摘した。これに似た考え方は、昨年6月に行われた人間・植物関係学会2002年大会のパネルディスカッションでも語られたことがあった。但しこの時は、「何も気づかずに生活」、「養生生活」、「療養生活」、「治療生活」という4段階説であった。今回は、「保健」を間に加えた5段階になっている。

 確かに医療との関わりで考えるならば、我々の生活は、医療の助けを借りて快復をめざす段階(場合によっては快復は期待できないが、生きながらえる段階)から自律的に健康管理を行う段階まで階層構造をなしていることに気づく。この点では異論はないし、社会福祉のあり方もこの段階別に、公的負担や自己責任の度合いが勘案されることになるものと思う。

 もっとも、もし、我々の人生がこの5段階だけに集約されてしまうとすると(←山根氏がそう言われたわけではない、念のため)、ちょっと空しい気がする。

 例えば、宗教を拠に生きている人にとっては、上記とは別に、「宗教と無関係の生活」、「御利益を期待したり、冠婚葬祭上の必要から宗教に関わる生活」、「信仰の日々」、「極楽浄土への近さを感じる生活」、「即身成仏の段階」....という別の段階があるだろうし、無信仰の人間においても、「何かの達成をめざす生活」、「回顧を楽しむ生活」、「無欲諦念の段階」、「自然の循環の必然を悟り、死を受容する段階」、というのもありうると思う。

 園芸療法も「型」としてはそれなりに一般化できるだろうが、発達障害、精神障害、高齢者福祉それぞれでは役割が変わってくる。余命わずかとなった段階での植物との関わりには特別の意味づけが必要であろうと、ふと思った。次回に続く。