じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  9/23の日記で、(借りている畑の)隣の家のわん子の庭にオスの野良犬が入り込んできたことを書いた。その後の侵入は目撃されていない。
土曜日昼頃に妻と一緒に立ち寄ったので、わん子にブラシをかけてやっているところを撮影してもらった。
古い座布団を置くと、自分から仰向けになる。脚の付け根や首輪の隙間などにも念入りにブラシをかけてやる。


9月27日(土)

【思ったこと】
_30927(土)[心理]植物の療法的利用の可能性セミナー(2)園芸療法の洋風化

 公開セミナー「人と植物の触れあいにみる植物の療法的利用の可能性」の参加報告の2回目。講演の後半は、

●「園芸の療法的利用の可能性について」 山根寛・京都大学医療技術短期大学部教授

であった。山根氏とは多少面識があり、人間植物関係学会等でのご発言は何度も耳にしたことがあるが、ご本人みずからの講演を拝聴できるのは今回が初めてであった。

 山根氏はまず、最近の園芸療法ブームについて、あまりにも「洋風」を持ち込むことがちょっと気になると指摘された。これは以前から私自身も感じていたことである。日本には伝統的な盆栽もあれば、朝顔の変わり咲きや、菊、サツキなどの愛好会があった。ところが、昨今の園芸療法は、もっぱら西洋のガーデニングが主体である。公園には、札幌の大通り公園でも倉敷のチボリ公園でもそうだが、全国どこへ行っても同じような花ばかり植えられている。それどころか、チベットのゴンパやイランの庭園でも、日本の花壇と寸分違わないマリーゴールドやアゲラータムが植えられているのは少々興ざめであった。

 山根氏も指摘しておられたが、日本の気候風土ではもともと植物は自然に育つ。手を加えないと花壇が維持できない欧米とは少々異なっているようだ。「洋風」が持ち込まれる一番の理由は、園芸療法ブームの背景に巨大な園芸産業があること、また、農学系の教育機関がそれらを重視していることにあるのではないかと思う。じっさい、園芸療法の担い手の多くは、医療技術系ではなく農学系の出身者であるように見受けられる。それはそれで悪いことではないのだが、高齢の参加者(クライアント)本位で考えるならば、もっと、昔を懐かしむことのできる対象、昔じっさいに育てたことのある花や野菜を主体とした「療法」が行われてもよいように思う。

 ところで、山根氏は全国の作業療法士会の副会長をつとめておられるが、作業療法の世界では、もともと、「作業」の1つとして「園芸」が組み込まれていたという。米国では1960年代に、傷痍軍人のリハビリの一環として、種々の生物療法が生まれた。園芸療法はそのうちの1つであり、山根氏はこれを

●植物を育てることを中心に、植物や植物が育つ環境、植物に関連する諸活動を通して、身体や精神機能の維持・回復、生活の質の向上を図る

というように定義づけている。この定義は、植物を育てることを主体としているが、花壇を眺めるといった受動的な関わり、また、集団で園芸活動に取り組む際の協力や交流の効果も含めている点に特徴があるように思った。次回に続く。



9月26日(金)

【思ったこと】
_30926(金)[心理]植物の療法的利用の可能性セミナー(1)

 兵庫県立美術館・ミュージアムホールで行われた姫路工業大学 自然・環境科学研究所主催(共催:兵庫県立淡路景観園芸学校)の公開セミナー「人と植物の触れあいにみる植物の療法的利用の可能性」に参加した。

 この日の講演は、
  • 「韓国における園芸の人間的利用の現況」 郭炳華(Kwack BeyoungHwa)・高麗大学名誉教授
  • 「園芸の療法的利用の可能性について」 山根寛・京都大学医療技術短期大学部教授
の2題であり、そのあとパネルディスカッションが行われた。

[今日の写真]  郭氏の講演では、韓国における園芸療法士養成教育や学会組織の現状が紹介された。日本では、園芸療法という言葉がかなり定着しているが、韓国では「園芸医療」が強く打ち出されているという。もっとも、医療効果がそれほど実証されているわけではなく、修士課程や博士課程では、客観的な数字による効果測定の研究が行われているという。

 11の病院のリハビリ施設で実践研究が行われており、そこでは「生活機能測度」、「非運動性視覚検査」、「憂鬱測度検査」など(いずれも郭先生の訳語)が指標として用いられている。園芸療法士は国家資格ではなく、大学で一定の単位を揃えた上で申請すると、まず二級の資格が認定される。修士相当で一定の実践経験を積むと一級、さらに博士相当でかなりの年数の経験を積むと特級が与えられるというが、現時点では特級の療法士は一人もいないとか。

 そのほか、毎年1冊のモノグラフが発行されたり、年に2回の学術大会が開催されているということだった。