じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] アガパンサス。蒸し暑い時期に清涼感を与える。和名は「紫君子蘭」だが、ヒガンバナ科の君子蘭とは異なり、ユリ科に属する。英名は、African lily、あるいは「lily-of-the-Nile」だという。南アフリカ原産の花なのに、なぜ「ナイルのユリ」になったのだろうか。



7月3日(木)

【ちょっと思ったこと】

火星の明るさに驚く

 7月4日の明け方4時頃、たまたま目が覚めたので南の空を眺めると、ひときわ明るく輝く赤い星があった。来月に最接近を迎える火星であった。天文年鑑で調べるとすでにマイナス1.6等の明るさに達しているようだ。

 火星そのものは、1月〜3月頃、5時半〜6時頃の朝の散歩時に毎日のように眺めていたが、春分を過ぎてからは空が明るくなり、ずっと見る機会が無かった。あの頃はまだ一等星前後で、さそり座のアンタレスよりも見劣りしていたが、いまや夏の夜空最高の輝きを見せるようになった。7月17日には月齢17〜18の月のすぐ南に位置するという。デジカメでも十分撮影できるはずだ。

【思ったこと】
_30703(木)[心理]ゴミ屋敷は片付けても元に戻る

 夕食時にいきなり黄金伝説の一部を視た。今回のウリは、いったん片付けに成功したゴミ屋敷がその後どうなっているのかを追跡調査したもの。「環境だけ替えても、行動そのものを変えなければダメだ」を示す事例として大いに参考になった。

 この「ゴミ屋敷シリーズ」では毎回、レギュラーのタレントが全国各地に点在するゴミ屋敷を訪問。最初は家主から門前払いや猛反発を受けるものの、何かをきっかけに打ち解けた関係となり、最終的にゴミの撤去に応じる。家の中や敷地周辺がすっかりきれいになってめでたしめでたしで終わるという、ワンパターンのシナリオになっている。この種の番組にはかなりのヤラセがあるのではないかという疑いは多々あり、また、ああいう形で娯楽番組として取り上げてよいものかどうかも検討の余地がありそうだが、とにかくゴミ屋敷が存在していること自体は事実。行政には全く解決できないような問題を、文字通り「綺麗さっぱり」片付けてしまうところはスゴイと思っていた「4月19日の日記5月10日の日記に関連記事あり]。

 しかし、ここで誰しも疑問に思うのは、いったん「綺麗さっぱり」に片付けられたゴミ屋敷が半年後、1年後にもそのままの綺麗な状態を保ち続けられるだろうかということである。行動分析的に考えれば、その可能性はきわめて低い。なぜならば、番組で解決したのはあくまで「ゴミの撤去」に関わる部分だけであるからだ。5月10日の日記にも書いたように、普通の家がゴミ屋敷になってしまう原因は、
  • ゴミを拾い集めてくるなどの問題行動が弱化されないこと
  • ゴミを捨てるという望ましい行動が形成されないこと
の悪循環にあると考えられる。テレビ局がいくら人海戦術(映像上は家主とタレントの二人三脚)でゴミを撤去したところで、行動を変えない限りは、何も改善されないことは目に見えている。

 じっさい、今回の番組で「衝撃の再会」となった2つのケース(こちらこちら)では、いずれもゴミ屋敷復活の徴候が表れていた。

 後半で紹介された「30年間片付けない女性」のケースでは、ゴミ屋敷だった家はリフォームされ、二階には若い女性が間借りするようになって、家の一部はきっちりと整頓され清潔が保たれていた。しかし、その女性が寝起きする居間には、腐敗した食べ残しなど、不衛生なゴミが散乱。一部ヤラセがある模様なので確かなことは言えないが、この女性の場合には、食べ残しに対する執着が強く、また、普通の人には強力な嫌子になるはずの腐敗や小蝿に無頓着であることが、ゴミをため込む原因となっていたのである。

 番組では再度のリフォームをほどこし、ある程度、ゴミを捨てやすいような改善をはかっていたが、テレビ番組の性質上、対象者本位の根本的な行動改善はめざしていなかった。番組サイトでは、「あの家がゴミ屋敷に戻ることは、もう二度とないに違いない…。とか、今後、この家は再びゴミ屋敷になることは決してないだろう! などと楽観的なことを言っていたが、屋敷の中味だけ変えたところで改善になるはずがないのだ。もう一度声を大きくして言うが、行動を変えない限りは、何も改善されないのである。

7/4追記]

 特定物の拾い集め(例えば中古自転車や段ボール)によってゴミ屋敷となったケースは、当該の拾い集め行動が復活しない限りは二度とゴミ屋敷になることはない。いっぽう日常生活で普通に出るゴミを捨てないことによってゴミ屋敷になったケースでは、適切な「整理する」、「捨てる」行動が形成されない限りは、放っておけばかならずゴミ屋敷が復活すると予想される。程度の差こそあれ、後者のケースは、我が家や研究室でも起こりがちだ。