じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 時計台前のネジバナ。花のつきかたや色は株によって微妙に違う。毎年、変わった形の株を探すのが楽しみだ。今年はなぜか花穂の貧弱なものが多い。


6月18日(水)

【ちょっと思ったこと】

わんこの謎

[写真] 借りている畑の近くには写真のような犬がいる。飼い主は別の家に住んでおり、一日2回、餌をやりにくる程度で、名前すらつけていない。メス犬ということもあり、妻や私は「わん子」と呼んでいる。見知らぬ人が来るとよく吠えるので番犬の役目は十分に果たしているようだ。

 昨年来、昼食前に野菜を取りに立ち寄るついでにこの犬にブラシをかけてやることにしている。最近では、そのことを犬のほうも心得ていて、私がやってくると、自分から仰向けになってかゆいところを掻いてくれというポーズをとるようになった。一通りブラシかけが終わると、さっさと小屋に入って昼寝を始める。

 また、夕食後の散歩時には残り物の肉をちょっとだけ与えることにしている。この時にはシッポを振って出迎えてくれるが、餌を食べ終えたあとは知らん顔。なかなか合理的な犬である。

 最近このことでふと疑問に思ったのだが、このわんこにとって、昼間にブラシをかけにくる私と、夜に餌を与えにくる私は、果たして同一人物として受けとめられているのだろうか。じっさい昼と夜では服装も履き物も違うし、昼は自転車、夜は徒歩という違いもある。ま、同一人物であろうなかろうと、犬にとってはどうでもよいことかもしれないが。

 これと別に、散歩道の途中には、家の前を通りかかっただけでいきなり吠えかかる犬がにいるが、ときたま、じっとにらむだけの時がある。夫婦で散歩する時は「今日は犬の機嫌がいい」とか、「機嫌が悪い」とか言っているが、これらは、犬にとって我々が同一人物であるという仮定のもとでの話。もしかしたら、犬は、我々が不審者に見える時に吠え、馴染みに見える時にはにらんでいるだけなのかもしれない。




大学の「住所録」から住所消える

 岡大では毎年6下旬頃に、全教職員の氏名、住所、電話番号を記した職員名簿を作成し、全職員に配布してきたが、個人情報保護のため、今年から住所・電話の掲載をとりやめることにしたという。

 じっさい、これまで、職員名簿流出によると思われるDM、勧誘電話がしょっちゅうかかってきた。我が家では、あまりシツコイので自宅電話番号を数年前から非掲載にしてもらったところ本数が大幅に減った(←現在では、番号通知電話しか受信しないし、正体不明の相手からの電話は受話器をとらないため、その心配はない)。今回、住所のほうも一律非掲載になることによってDMのほうもかなり減るのではないかと思われる。

 自宅住所や自宅電話が非掲載となっても、研究室の内線電話は相変わらず業者にリストとして流出しワンルームマンション等の勧誘は相変わらず続くことになるのだろう。もっとも最近の私のほうの応対は強硬だ。相手方が宣伝を始めようとすると、

●どこの会社ですか、会社名を言いなさい!

と怒鳴る。相手が会社名を言えば

●そうですか。こういう業務妨害の電話をかけたことで、お宅の会社は完全に信用を無くしました。今後いかなる取引もしないようメモしておきます。はい、さようなら。

相手が会社名を語らないときは

●おいっ、正体も明かせないのか。卑怯者! 二度と電話するなよ!

と怒鳴る。但し、相手になるべく電話代を使わせるよう、受話器は放り出したままにしておく。

 もっともこのやり方、万能ではなさそうだ。先日、業者っぽい声で電話がかかってきたので、私が「会社名を名乗りなさい!」と怒鳴ると、「○○大学の△△ですが...」とおっしゃる。じつは、某大学の有名教授が、夏の年次大会の問い合わせをしてこられた電話だったのである。

【思ったこと】
_30618(水)[心理]園芸療法の効果について考える(5)必要条件としての効果と十分条件としての効果

 6/7の日記で、園芸療法の定義に関連して
話題として取り上げるかどうかを明確にする際の基準と、効果を論じる場合の分類基準が同一であるとは限らない。植物を育てることの効用をいろいろ挙げてみただけで直ちに園芸療法の効果であるとは言えない。

これは例えば、温泉の効用を論じる場合と同様である。周知のとおり「天然温泉とは何か」についてはすでに客観的基準が定められているが、ある温泉において抜群の効能が実証されたからと言って、同泉質のすべての温泉に同じ効能があるとは一般化できない。
と述べたが、今回の学会では、心配していたとおり、この点が明確に区別されていないと思われるご意見があった。

 例えば、園芸療法とそうでないものを区別するだけだったらば、

●園芸療法とは、一定の基準のもとで認定された園芸療法士が職務として行う療法のことである。

と定義しても差し支えない。しかし、この定義では中味に全く触れられていない。ヘタをすれば、

●野球とは野球選手が野球場で行うスポーツのことである。
●相撲とは力士が土俵の上で行うスポーツのことである。
●テニスとはテニス選手がテニスコートで行うスポーツのことである。

などと同様、循環論的定義に陥る恐れがある。




 もう1つ、

●園芸療法を実施したところ、○○という効果があった。

という事実が確認されたとしても、それが
  • 園芸療法でなければ得難い効果なのか。
  • 散歩などほかの運動でも獲得できるが、園芸療法であっても獲得できる効果なのか。
  • 園芸療法を実施した時にたまたまセットになっていた別の活動による効果なのか
を区別しなければ、真の効果測定とは言えない。これは、心理療法一般や地域通貨導入の評価についてもあてはまることだ。