じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] 京大・吉田キャンパス内のサークルボックス。吉田キャンパス(旧教養部)内を訪れるのは30年ぶり。そんななか30年前とちっとも変わっていないのが、西端のサークルボックス(写真左)と吉田寮(写真右)であった。 [写真]


3月15日(土)

【ちょっと思ったこと】

久しぶりの京都

 今回は朝の9時から17時すぎまでずっと日程がつまっていたので、懐かしい場所などに立ち寄ることはできなかった。そんななか気づいた点をいくつか。
  • 京大に行くときはたいがい京都駅〜地下鉄〜今出川〜バス〜東一条(京大正門)というルートを選ぶ。そのさい京都駅で「地下鉄・バス乗継券」を買うとわずかばかり安くなる(390円)。ついでに、帰り用の「バス・地下鉄乗継券」も買っておこうと思ったが、どの券売機にもボタンがついていない。改札窓口で尋ねたら、今出川駅で降りたときに買ってくださいという。これってあまり利用されていないのだろうか。乗り継ぎ券を3回以上使うなら一日券購入のほうがお得ということになるのは確かだが。
  • 百万遍〜東一条の景色もずいぶん変わってきた。そんななか、私がハトの実験をやっていた頃にお世話になった明日香小鳥店が昔のままに店を続けておられたのには感激した。当時は50歳くらいのおばさんと若い娘さんで店を開いていたと記憶しているが、30年経ったいまはどうなっているのだろう。
  • 時計台キャンパスの南西角のあたりと、旧教養部A号館のあたりに大きな建物が建てられていた。大学構内の景色はますます様変わりしそう。
  • 帰りは206号系統で北大路駅に行ってみた。途中、北大路通りに左京郵便局が移転していることに気づく。
  • 大阪のエスカレーターは左をあける?の件だが、京都の地下鉄でも左側をあけている人がほとんどであることを確認。関西圏で慣習化しているのかも。
【思ったこと】
_30315(土)[教育]大学教育研究集会/大学教育改革フォーラム(1)

 3/15に京都大学総合人間学部E号館で行われたFD関係の会合に出席した。この集まりは

9時から12時15分頃まで:「第2回大学教育研究集会」(8部会に分かれて研究発表・討論)
13時30分から17時10分頃まで:「第9回大学教育改革フォーラム・プログラム」(主として話題提供)

という二部構成になっていた。まず驚いたのは参加者の多さである。一昨年の「第7回大学教育改革フォーラム・プログラム」はせいぜい100人規模であったものが、今回は当日受付を含めると500人規模になったという。年度末の忙しい時期に全国からこれほど多くの教職員が集まった背景は、会場の発言にもあったように、独立行政法人化を目前に控えて各大学でいろいろな戸惑いがあり、他大学の情報を少しでも知っておきたいというニーズが高かったためではないかと考えられる。このほか、午前中の研究集会での発表に見られるように、全国の多くの大学が担当者、場合によっては専任ポストを確保して教育改革に取り組むようになったことも参加者増加の大きな要因になっているのではないかと思う。




 午前中の「第2回大学教育研究集会」は8部会に分かれて行われたが、私は、このうちのFD研究部会に参加した。会場となった「E号館12教室」は外装とトイレは大きく変わっていたものの、講義室の壁や天井や教卓は30年以上前に私が授業を受けていた頃と同じであった。当時私は教養部の授業は2〜3の科目を除いて全く興味が持てず、時には授業中の教室から友人を連れ出して麻雀に誘ったこともあり、全く不真面目であった。加えて、当時はまだまだ過激派の勢力が強く、バリケード封鎖で授業が行われない時期もあった。その頃と全く同じ教室で、学生の出席・欠席の意識調査や、授業改善のディスカッションをすることになるとは皮肉なものである。

 ところでこの「大学教育研究集会」だが、まだ2回目ということもあるのだろうが、「集会」の性格がまだまだ不統一であるような印象を受けた。「私の大学ではこういう取り組みをしています」という情報提供的なものもあれば、実際に調査を行った上での研究発表に近い性格のものもある。前者を中心とするならば、個人発表ではなく、各大学が組織として発表に取り組む必要がある。とすると、来年度あたりは私の大学からも、きっちりと役割を分担して、委員会活動の一環として発表準備を進めていく必要がある。いっぽう後者を重視するのであれば、ちゃんとした学会を組織し、研究成果として一定の基準を満たしているのかどうかをチェックしていく必要があるだろう。

 個別の発表についての感想は次回以降に。