じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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サーバーの容量事情により、写真ファイルはこちらに移しました。 タスマニア南部の動物園で見た動物第三弾。この動物園ではウォンバットはコアラ以上に人気があると聞いた。確かに、コアラなんぞは動作が緩慢でナマケモノと大して変わらない。ウォンバットのほうがコロコロしていて可愛げがある。

もっともこれは、活発に動き回っている場合の話だ。北九州市響灘のひびき動物ワールドに居たウォンバットは仰向けに昼寝いて微動だにしなかった(写真右、2000年5月4日撮影)。見物していた子どもたちからは、あれは死んでいるのではないかと疑問の声が発せられたほど、無愛想であった。


1月13日(月)

【ちょっと思ったこと】

英一蝶

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1月13日は、江戸時代の画家、英一蝶(はなぶさ・いっちょう)が亡くなった日であるという。各種サイトでも紹介されているように、英一蝶は、罪名不明の三宅島への島流し、本名のほかに画号や俳号や偽名などいっぱい、作品には偽物もたくさんあるということで、まことに正体がつかみにくい。番組では、「朝妻船」という絵に描かれた女性が綱吉の側室に似ていたことを遠島の理由に挙げていたが、これは諸説のうちの1つにすぎないようだ。また番組では、「一蝶」に改名したのは、三宅島から帰還する船のなかで一匹(一頭)の蝶を見つけたことに由来すると言われているが、これまた確証はなく、しかも、どういう種類の蝶であったかは未だ謎であるという。

 江戸時代の画家のミステリーというと何と言っても写楽が有名だが、これは極端に情報が少ないことに起因している。英一蝶の場合は逆に、情報が多すぎて、どれが本物かを確証することがミステリーになっているという点で興味深い。




酸素グッズ

 1/14朝のNHKニュースによれば、最近、酸素を吸入して疲労回復をはかるグッズが人気を呼んでいるという。一部しか視ていないので正確な情報は分からないが番組では、宇宙船のカプセルのような装置や、理科の酸素発生実験装置のようなグッズが紹介されていた。短時間ではあるが酸素を吸い込むことで、眠気がとれたり、激しい運動後の呼吸を整える効果があるらしい。

 多少疑問に思ったのは、こういう装置に頼ってしまうと逆に、順応力や回復力を弱めてしまうのではないかということだ。4000m以上の高所を旅行したり山登りをする時によく言われることだが、酸素吸入に頼っている限りは順応は難しい。酸素ボンベを使うのはあくまで応急の措置であって、多少苦しくても薄い空気に体を慣れさせていくか、諦めて低地に降りるしか方法は無いのである。そして、首尾良く高所に順応できた時には、思いも寄らぬほどのダイエット効果をもたらすことがある(2002年9月22日の日記参照)。

 専門的なことはよく分からないが、単に「気持ちがよくなるから」という理由だけで酸素グッズに頼るのは少々危険であるように思う。むしろ、運動や登山などを通じて、ある程度酸素不足になるような環境に身を晒し、自力で順応を繰り返すことのほうが、長い目で見て健康保持につながるのではないだろうか。

【思ったこと】
_30113(月)[心理]行動随伴性ダイアグラム再考(3)「なぜそれは好子なのか」は解明できるか

 連載の3回目。今回は、「なぜそれは好子なのかは解明できるか?」について考えてみたいと思う。行動分析における好子(正の強化子)とは、本来、(オペラント)行動が増加したり、高頻度で維持されている時に、その行動の直前と直後の変化を観察することによって、「事後的に発見」されるようなものだ。じっさい、『行動分析学入門』(杉山ほか、産業図書。1998年)では、好子は
行動の直後に出現すると、その行動の将来の生起頻度を上げる刺激、出来事、条件
として定義されている。この定義が循環論に陥らないのは、一定の範囲内(個体内、文脈内...)において、同一の好子が別の行動の強化に利用できること、また、好子を随伴させる確率やパターンを操作することで行動の生起頻度が変えられること、などが保証されているためである(厳密に言うと、こういう議論もある)。

 いずれにせよ、上記の定義は、ある個人にとって、どういうモノやコトが好子であるかということを区別するものではあるが、なぜそれらが好子であるのかを説明することはできない。

 年頃で日常のごく普通の出来事までおかしがることを「箸が転んでもおかしい」と言うが、もしある子供が食事の前に「いただきます」と発話し、その直後に必ず箸が転び、その結果として「いただきます」が習慣化したとしたら、その子供にとって、箸が転ぶ現象は好子になっていると定義するほかはない。

 とはいえ、我々は、どういうモノやコトが好子になりやすいかについてある程度の知識を持っている。まずは、生物的に見て、個体の保存や繁殖に有用な事象であろう。これらは一般に生得性好子と呼ばれている。もちろんこれには、遺伝情報のバグや文明の進歩がもたらした例外が多々あるが、てんでばらばらということはない。価値観の多様性とか言ったって、共通の根っこが全くなかったら社会は成り立たないだろう。

 次に、我々は、経験を繰り返す中で、新たな好子が形成されるということを知っている。これらは習得性好子と呼ばれるが、「価値の創造」と同義であると言ってもよい。個人内において、特定のモノやコトが習得性好子になるためには条件づけのプロセスが関与しており、そこには個体を超えた共通の法則性がある。

 

 ところで、別スレッドで連載を予定している中島義道氏の『不幸論』(PHP新書)(1/8の日記参照)の中には
.....幸福を感じている人とはある特定の欲望に関して満足を感じているのであって、それは客観的に決まることではない。ある人は、十五万円の月給をもらえるだけで満足であり、ある人は百五十万円の月給でも満足ではない。
 こうして、特定の欲望がかなえられていることは計量化できるわけではない。
という記述(28頁)があるが、これは行動分析的には妥当とは言えない。まず、「オペラント行動」と「それに随伴する好子」のセットをもって幸福を定義するという立場から言えば、「オペラント行動なしの好子」などもらっても何の価値も無いのである。また、「計量化できない」とあるが、それは個体間で比較した場合の話だ。個体内では、好子の量や頻度は計量化できる。但し、確立操作によって、その強化力は増減するものであるけれど.....。

 次回は、以上に基づいて「随伴性は、なぜそれが面白いのかを解明できるか」について考察してみたい。