じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ユズリハ。子供の頃、実家の向かいの家にこの木があった。真冬になると霜があたって萎れたように見えるが、日中にはピンとしていてたくましいと思った記憶がある。もっとも実がなっているのは初めて。辞書によれば、新しい葉が出るのを待って古い葉が落ちるのでこの名があるという。その特徴によるのだろうか、東京地方ではお正月の飾りに使われていたと思う。





11月21日(木)

【ちょっと思ったこと】

もう1つの月?

 このところ早朝は曇りがちの天気が多く、満足に星空を眺めることができなかった。久しぶりに晴れ上がった22日の朝、東南の空に、月がちぎれたのではないかと思えるほどの明るい星があった。たぶん金星ではないかと思うが、あんなに明るく見えたのは初めてだ。22日は、西の空には、満月をちょっと過ぎた月や土星、天頂付近には木星があった。確か火星も見えるはずなのだが、すでに空が明るくなっていたせいもあって位置を確認することができなかった。

【思ったこと】
_21121(木)[心理]学会年次大会開催について考える(2)ネット時代になぜ大会を開くのか

 広島出張の話題を連載していたためにすっかり先延ばしになってしまったが、11/6の日記に引き続いて、学会の年次大会開催の意義について考えてみたいと思う。

 まずこれまでに考えたことをまとめてみると、私はもともと、

●ネット上でできることを年次大会でやるのは無駄だ

という考えをつよく持っていた(9/2の日記参照)。

 ところが、ネットがますます普及し、例えば岡大の場合は全教室に情報コンセントが設置、家庭内でも常時接続のサービスを受ける研究者、学生が増えてきたにもかかわらず、(人が集まる)年次大会を廃止し、ネット上での議論に切り替えようという動きはいっこうに見られない。最近では逆に、COE関連で潤沢な予算を獲得した機関によって、立派な会場での国際シンポが開かれる動きもある。それと、心理学関連に限って言えば、大部分の学会は、20年以上も前からほとんどおなじスタイル(口頭発表、ポスター発表、招待講演、小講演、シンポジウム、ワークショップ...)で年次大会を繰り返している。しいて言えば、口頭発表を行う際のツールが、かつてのスライドからOHP、そして最近ではパワーポイントへと変化したぐらいのことである。

 年次大会が相変わらず続けられるのは、それに参加する行動が何らかの形で強化されているためだ。このことについて、とりあえず、4つの可能性を考えてみた。
  1. ピアノ発表会説
    発表会演奏という具体的目標をもっておけいこするのと同じように、研究者たちは、学会発表の申し込み期限を1つの目処として、自分たちの研究をまとめようとする。具体的な期限がないと、完璧さを求めすぎたり他の雑用の優先順位を上げたりして先延ばしをする傾向が出てしまうが、いったん申し込を支払えば、撤回すると恥をかくし申込金も戻らない。このように自分を追いつめれば、仕事に専念できるというメリットがある。
    この説が正しいとすると、参加者の多くは、自分の研究を発表することだけが目当てであり、他者の発表や講演を聴くことはおまけということになる。

  2. 山ごもり説
    大学教員は、研究活動のほか、日々の教育活動、管理運営、社会貢献などさまざまな仕事に追われている。いくらネット上で常時議論ができるといったって、そういうしがらみの中では、満足に時間を確保することができない。いっぽう「学会がある」と言えば、重大な会議でも堂々と欠席することができる。とにかく、他のもろもろの雑務を遮断し、数日間缶詰状態になることによって、研究テーマに没頭できる可能性がある。

  3. リフレッシュ説
    日常生活と異なる空間に身を置くことで、今までとは違った角度から問題をとらえ直すことができる。上記の「山ごもり」と異なり、宿泊地や往復する際の車窓の風景などもすべてリフレッシュ効果をもたらす可能性がある。
    上記の「山ごもり説」の場合は都内のホテルに缶詰になっても目的を達成できるが、「リフレッシュ説」の場合は、ロケーション、会場内の雰囲気などにも配慮する必要がある。

  4. 人脈説
    海外からの著名な研究者に直接面会して留学の可能性をさぐったり、同じようなテーマに取り組んでいる研究者たちと交流して共同プロジェクトを立ち上げたりする機会として利用する。
    この説が正しければ、参加者は、どちらかというと、会場の外のロビーでたむろする機会が多くなる。また、懇親会の役割も重要。
 大学教員の場合、年次大会の出席には公的な研究旅費が使われているはずだ。また、本来の職務に従事すべき時間が免除され、年次休暇(有給休暇)とは別の、出張あるいは研修という形で参加しているはずである。となると、本来は、そこに参加してどういう成果を得たのかを詳細に報告する義務があるはずなんだが、実際には形式だけに終わっている場合も多い。いっそのこと、学会発表論文集とは別に、学会参加報告集を公開すればよいのではないかと思うのだが、あまりノルマを厳しくすると誰も来なくなってしまう。やはり上記の4つの説が部分的になりたっているような気がする。