じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ユリオプスデージー。挿し芽で増やした株の生き残り。5年以上になるかと思う。それほど耐寒性は無いが、講義棟の南側で寒風にあたらないため大株になった。花期が長いので、道路沿いに植えられることもある。





11月6日(水)

【ちょっと思ったこと】

柳沢教授に妻をとられる

 夕食後はいつも夫婦で散歩に出ることにしているのだが、この日は「速報!歌の大辞テン!!『懐かし度満点の強力ヒット続々・S54年』」を21時頃まで視てしまった。久保田早紀の「異邦人」など、私が大学院生の頃の懐かしい歌が多かったためである。

 「歌の大辞テン!!」が終わったので「さっ、散歩に行こう」というと、妻は「9時から視たい番組があるからもうダメよ」と言う。なっなんと「天才柳沢教授の生活」を視るのだという。「そんなもん、ビデオに録っておけばエエじゃないか」というと、「あんな番組、ビデオに録ってまで視る価値ないもん」という。なら、視なきゃエエものを。

 で、「妻と一緒でなければ寂しい」となだめたり、「規則的な生活を娯楽番組で破壊するのはダメなやつだ」と脅したりしたが、妻はロバのように動かずテレビを視続けた。やむをえず私は一人ぼっちで散歩に出た。さて戻ってからこっそり家の留守電に仕掛けをしておいた。腹いせに、敏いとうとハッピー&ブルーの『よせばいいのに』(昭和54年の第3位?)の最後のフレーズを録音しておいたのだ。留守中に我が家に電話をしてくるのはたいがい妻の知り合いだ。呼び出し音がなったあと、音程の外れた声で「ダメダメダメよ、ホントにダメよ、ダメなわたしよーっ!」という歌が聞こえてきたらさぞかしビックリするに違いない。




類似点

 上記の歌番組を視ているときに、娘が「○○って、△△そっくりじゃないの」とか言っていたので、私も一言。「おとうは、畑正憲と塩爺が似ていると思う!」と発言したところ、息子が、「なんだ、両方とも年を取っているだけじゃないか!」。なっなんと失礼なことを...。
【思ったこと】
_21106(水)[心理]学会年次大会開催について考える(1)

 少し前の記事になるが、10月31日に閉幕した第57回国民体育大会「よさこい高知国体」では、高知県がとしては開催地としては39年ぶりに天皇杯(男女総合優勝)を逃したことが話題になった。これに関連して、橋本大二郎知事は同日、全国の都道府県で持ち回りとなっている現在の開催方式について「日体協は、競技の(トップレベルの)大会にしていきたいという考えだが、それなら施設が整っている東京や大阪で開いたらいい」と改めて批判、「スポーツも今や構造改革が求められている。地方の実情に合わせ、中央と地方が対等の関係で開催するという考え方が必要ではないか」と述べたという[以上、朝日新聞11/1記事から長谷川が要約抜粋]。この記事は見出しでは“国体「施設整った東京や大阪でやれば」 橋本知事、再び批判”となっていて、あたかも橋本知事は地方での国体開催に否定的であるような印象を与えるが、ご発言の後半部分から読みとれる範囲で言えばむしろ、「競技優先が目的なら東京や大阪だけでやればよい。国体はむしろ、地方が中央と対等の関係で開催し、競技優先ではなく、国民の多くが参加できるような形の大会に改めるべきだ」と言っておられるようにも受け取れる。この記事だけでは橋本知事の真意はつかめないけれど、少なくとも見出し部分は誤解を与える恐れがあると思う。

 さて、このことからの連想になるが、心理学関係の諸学会でも、たいがい、年次大会は会員の所属する大学の持ち回りで開催されてきた。おおむね、東京都内の大学と地方大学が1年交代で受け持つようになっている。じつは来年の夏には、私のところでも某学会の年次大会開催を引き受けることになっており、近く会員へのアンケートなども実施、「ネット時代、なぜ地方で年次大会を開催することに意義があるのか」を明確にした上で準備に入りたいと考えているところだ。

 もし、学会年次大会が「どの場所でやっても同じ」というのであれば、(競技優先の)国体と同様、施設の整った東京や大阪で開催したほうがよいと思う。そのほうが、参加者全体の交通費、宿泊費の負担を抑えることになるし、大会開催のためだけに使うポスター展示用品、ビデオプロジェクター、名札などもリサイクルできる。また、会場の設営や雑用業務、参加費徴収、懇親会手配などはすべて専門業者に任せる。これによって、誰が実行委員長になろうとも、発表の形態(口頭かポスターかワークショップか)、講演やシンポの企画、プログラムの時間配分だけに頭を使えばよいことになり、小規模大学の教員でも委員長になれるという別のメリットが生まれるはずだ。

 いっぽう、あくまで年次大会を地方でやることというのであれば、それなりの意義づけが必要。その際いちばん必要なのは、地元関係者(非会員)との交流の場であろう。ただし、その場合には、公開講演会(年次大会参加費を払わなくても、非会員が資料代程度の負担で参加できる)を同時開催することが必要だ。

 近くに重要な研究施設があれば、見学の機会を作ることも意味があるだろう。岡山県内にも先進的な福祉施設、医療施設などがある。もっとも貸し切りバス手配となると金がかかるので、あくまで自主的見学のお手伝いにとどめるのが無難かも。

 とにかく、こういった形で、地方開催の意義づけを行っていく必要があると思うのだが、くれぐれも観光のついでに参加というようなことの無いように配慮したいと思う(そういえば私自身、北海道大で日本心理学会大会が開催された時に登山靴をはいていってひんしゅくをかったことがあった)。

 それはそれとして、本当は、なぜ地方で開催するかという以前に、なぜ年次大会を行う必要があるのかということから根本的な問いかけが必要かと思う。この点については、9/2の日記とその翌日の日記で考察したことがあったが、時期が迫ってきたことでもありさらに検討を進めていきたいと思う。