じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] シジミチョウ(たぶん、ヤマトシジミのオス)。うしろに見える白い花は白蝶草。ホンモノと偽物の蝶々の取り合わせが面白い。





10月20日(日)

【ちょっと思ったこと】

引き分けの少ないゲーム

 各種報道によれば、チェスの世界チャンピオンのウラジミール・クラムニク氏(27)と最強のチェス・コンピュータ「ディープフリッツ」の八番勝負は、19日の最終戦で引き分け、2勝2敗4分けに終わったという。引き分けの賞金は80万ドルであった。

 このことで思ったのだが、チェスというのは、強さが同じレベルで対戦した場合はけっこう引き分けになる可能性の高いゲームらしい。持ち駒が無いため、手が進むにつれて盤面の駒は減っていく。それだけ王手もかけにくくなるのだろう。もし、取った駒がすべて持ち駒となるルールに変えたらどんなことになるのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。

 これに比べると、日本将棋はよくできている。いくら手が進んでもトータル40枚のコマ数は変わらない。たまに千日手になりそうになっても回避できる。それと、先手が有利というわけでもない。いちばんありがちな引き分けは、双方が相手方の陣地に王を進めて、周りを成り駒で固める入玉になることだが、この場合でも大駒と普通の駒をポイント化して、ある程度決着がつくようなルールができていたと記憶している。

 日常社会では、譲り合い、ギブアンドテイク、双方痛み分けというように、「引き分け」で決着をはかることが最善である場合が多いが、ゲームやスポーツの引き分けは面白味が半減してしまう。
【思ったこと】
_21020(日)[心理]授業と卒論・修論指導について考える(4)テーマ選びで悩み、失敗を繰り返すことに意味がある

 連載としては10/17の続きだが、流れとしては10/16の日記から繋がる話題。

 10/16の日記でも取り上げたように、いまやサービス過剰の時代である。大学入試の合格保証つきソフト、公務員講座、英語能力検定試験の得点アップ・ソフト、というように、いったん目標を決めたら、あとは、手頃な講座を受講したりパソコンソフトを購入して、指示された通りに訓練を積めば、そこそこ成果を上げられるような仕組みができあがっている。

 もちろん、何か具体的な目標をもち、日々努力すること自体は大いに結構なのだが、これは言ってみれば、あらかじめ敷かれたレールの上のトロッコを人力で一生懸命動かすようなもの。山登りで言えば、ルート探しの努力などせず、ガイドの後をひたすらついていくだけの登山ということになるかと思う。

 スキルの習得をめざすような授業はそれでもよかろう。また、理工系や生命科学系の多くの分野のように、大がかりの装置を使う研究では好き勝手なことはできない。しかし、心理学のような人文系の卒論・修論では、最初からテーマをもらい、指導教員が敷いたレールの上をがむしゃらに進むというだけの研究ではあまりに空しいと思う。

 心理学の研究対象は山ほどあるが、1つの大学に籍を置く教員の数は非常に限られている。よく、「本当は○○に関心があったが、指導教員の専門分野に合わせて××を研究した」という学生の話を聞くが、なぜ、指導教員と同じことをやらなければならないのか私には分からない。一生に一度の卒論や修論のテーマを選ぶにあたって、そんなに義理立てする必要はないと思う。

 ここで少々脱線するが、心理学の研究の研究対象選びについての私の指導方針は、岡山に来た12年ほど前の頃と現在で、かなり変わってきた。最初のころは、まだまだ、仮説検証型の研究が主流であったこともあり、学生がテーマを持ってくると
  • ある仮説を検証するための手段として最も結果の出しやすい対象を選ぶこと。
  • 結果が出やすいように、なるべく条件を簡略にすること
という観点からアドバイスをすることが多かった。これは一口で言えば、「手段として研究対象を選ぶ」ということであった。

 それに対して、最近ではむしろ、手段ではなく、その対象自体に研究する価値があるかどうかという点からアドバイスをすることにしている。つまり、「初めに、対象ありき」ということだ。もっとも、重要性さえ強調できれば何でも対象にできるというわけではない。研究の対象とするからには、それに関わることで、何らかの価値のある情報を引き出さなければならない。その価値とは、よく言われる「意外性」や「確実性」でもある。複雑多岐な情報を簡潔に整理することもまた1つの研究となる。

 といっても、研究の出発点において、どれだけ成算があるかどうかは分からない。指導教員にしても、長年の経験からある程度の見通しを述べることはできるが、100%の保証などできるわけがない。しかし、そういうリスクを承知の上で、いろいろな可能性を試し、問題を発見していくところに研究の本当の面白味があるとも言えよう。

 極限すれば、卒論・修論研究の9割方は、テーマ選びやアプローチの仕方で悩んでもかまわないと思う。指導教員に言われたことしか遂行できない学生は、見かけの上では立派な論文を出せるが、その一回きりで終わってしまう。社会に出てからも、その体験を活かす可能性は少ない、と私は思う。まずは、マニュアルや攻略本を捨てて、フィールドに飛び込むことだ。