じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 【8月10日 セルシュ〜玉樹】
セルシュ(標高4200m)からアンバ・ラ(標高4,600m)に至る途中、美しい花をたくさん見た。ここにある写真は野生のデルフィニウムの一種。デルフィニウムの名前は蕾の形がドルフィン(dolphin)に似ていることに由来するという。『西蔵野生花卉』掲載の写真の中では、展毛翠雀花(Delphinium kamaonense var. glabrescens)がよく似ていた。後ろに見えるのはタルチョとマニ石。





10月2日(水)

【ちょっと思ったこと】

防災の成果をもっと評価すべき

 10月1日に関東地方に上陸した台風21号は、東北、北海道を縦断し、2日正午には温帯低気圧に変わったという。2日午前11時の集計によれば、この台風では4人が死亡1人行方不明、家屋の倒壊92戸、浸水281戸などの被害が出たというが、上陸時の中心気圧が低く、最大瞬間風速50mを超える風が吹き荒れたわりには大被害に至らずに済んだ。

 昨年9月11日の日記にも書いたように、台風や地震の時には、被害を受けた部分だけが報道され行政に批判の矛先が向けられがちであるが、防災対策によって大規模な災害が防げたという成果もちゃんと報道すべきであろう。今回の場合は、台風が猛烈なスピードで駆け抜けたために比較的雨量が少なかったようだが、関東地区の河川の増水がきっちりと監視され適切にコントロールされていなかったら、浸水被害はもっと広がったはずだ。新幹線も雨量計の情報をもとに一時運転を休止。また、何よりも、前日からの進路予測がきわめて的確であった点が評価される。

 心理学の帰属理論を援用すると、台風被害の程度については

●運(進路、前線などの偶発的要因)、台風自体の勢力

といった制御不能な外的帰属と

●進路予測、防災対策

といった内部努力のいずれかに原因を帰属する傾向があるが、被害が少なかった時の内部努力の成果はどうしても過小評価されがちであるように思う。朝日新聞岡山版(10/3)では、台風通過後の情報は33面に15行分で小さく取り上げられただけであった。何かが起こった時にその原因を問いただすばかりでなく、何も起こらなかった時の成功要因を詳しく伝えることも、報道機関の使命ではないかと思う。そういう積み重ねによって、日本人の自信も回復していくはずだ。
【思ったこと】
_21002(水)[心理]英語教育と日本語文法を疑う(13)某国立大生の英語読解力は大丈夫やろか

 リスニングや会話力の養成を重視する政策や提言がなされている一方で、英語読解力の低下を心配する意見も出ている。

 本日、たまたま、某大学の某授業の中で、受講生にどの程度の読解力があるのか、腕だめしテストをする機会があった。使用したのは別宮貞徳氏の『続 誤訳 迷訳 欠陥翻訳』(文藝春秋、1983年)に誤訳例として掲載されていた「脱クルマ優先社会」の一部である。これを辞書持込で、下線部10ヵ所について翻訳させてみた。 しかしその冒頭の
The procedures for deciding whether or not to install crossing giving pedestrians the right to hold up wheeled traffic turn on a formula designed by the Department of the Environment.
から、解答結果は芳しくなかった。完璧な正解者はゼロ。いくつか誤訳例を挙げると
  • 歩行者に車輪をもちあげる権利を与えるために
  • 自然環境の分野にデザインされた公式
  • 歩行者の右側の歩道を取り付けるべきかどうか
  • 通行の方向を変えるのを妨げるために交差点の右側に道路を設置するかどうか
  • 自動交通を滞らせる権利
  • 歩行者専用の道路をとりつけるかどうかという問題や車の権利は
といった具合である。確かに、「crossing」には交差点の意味もあるが、それに続く語句を見ればこれは横断歩道の設置に関する話だとわかるはず。「right」が右側のわけないやろ。そのあとの「turn on」は自動詞であることに注目して辞書を調べていくとランダムハウス英語辞典だったら「【10】〈物・事が〉(…に)因る,因って定まる」という意味のあることに気づく。formulaは数学関係の本を読んでいる人なら無条件に公式と訳す。「design」はその式が人為的に作られたものであることを示す。最後は大文字で始まっているので、省庁であろうと推測できる。

 ちなみに、別宮先生自身の訳例は

●歩行者が車両交通を一時停止させる権利を持つ横断歩道を設置すべきか否かは、環境省がつくった公式によって決定される。

となっていた。もっとも、この英文、もともとは翻訳書の誤訳の例として紹介されているぐらいだから、それなりに難しい点があるのだろう。もう少し後の部分で
Children on foot were not counted on the grounds that “lollipop men” ---mostly women--- are provided where they cross roads in large numbers. But, as critics of this arrangement were quick to point out, lollipop men only guard school routes.
という部分を、翻訳者はなっなんと
「よたよた歩きの人間」(大抵はご婦人がよたよた歩きなのだが)とは、大勢で道路を横断する人たちである、と規定されているため、歩く子どもたちは統計資料の数字から外されている。しかしゼブラ式横断歩道の設置に対する批判の中には、横断歩道は、よたよた歩きの子どもたちの通学路の安全を守るだけである、という鋭い指摘があった。
と大幅に誤訳していたという。こちらのほうの別宮訳は
歩く子供は勘定にはいっていない。その理由は、子供が大勢で横断する場所には交通安全係員-----多くは女性-----が配備されているからだ、という。しかし、このとりきめについて批判者がさっそく指摘したとおり、係員は通学路を監視しているだけである。
となっていたが、さすがに「よたよた歩き」などと訳した学生は一人もいなかった。誤訳翻訳者よりは某国立大生のほうが英語力がありそうだ。

 いずれにせよ、英語の学習時間は無限ではない。コミュニケーション力をつける教育を重視すると言うが、相対的に読解力が低下することはないかちょっと心配である。