じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 11日は台風15、16号が各地で被害をもたらしたが、岡山は朝から晴。ザクロの実が赤く輝いていた。よく見ると月齢23の下弦(+1)の月が枝の下に写っている。
ところでこの写真を見ると、ザクロの実に比べて月のほうがはるかに小さく見えていることが分かる。肉眼で同じような大きさに見えるのは知覚の恒常性によるものかと思う。



9月11日(火)

【ちょっと思ったこと】

台風の後では防災の成果も報道すべきだ

 米国での同時多発テロという大ニュースが舞い込んだために、台風15号でどういう被害があったのか、いまどこで洪水の危険があるのかというニュースがかき消されてしまった。9/12の朝日新聞では、社会面の片隅に本文16行の記事が小さく載せられただけであった(台風の進路からそれた地域に配布される大阪本社版という理由もあるのだろうが.....)。

 死者・不明8人という犠牲者が出たことは残念ではあったが、東京都心を直撃し、関東周辺の山地では何百ミリもの大雨が降ったにもかかわらず、大規模な洪水を防ぐことができた点は特筆に値すると思う。

 台風や地震の時には、被害を受けた部分だけが報道され、行政に批判の矛先が向けられがちであるが、防災対策によって大規模な災害が防げたという成果もちゃんと報道すべきであろう。例えば、多摩川では、上流で記録的な大雨が降り7メートルを越える増水のあったにもかかわらず決壊を防ぐことができた。都心でも、羽田のトンネル内で浸水があったものの、おおむね、排水対策は万全であった。こうした成果をそのつどきっちりと評価していくことが将来の災害を防ぐことにつながる。

 災害が生じた箇所について反省をしているだけでは不十分。災害を防げたという成功体験を活かしていくことのほうが大切かと思う。

 ところで、米国での多発テロのほうだが、空港であれだけ厳重なチェックをしているなかで、どうしてあのように多数の航空機の同時ハイジャックが可能になったのか不思議でならない。仮にハイジャックされても、犯人が操縦室に入り込むことはできない仕組みになっているはずなのだが.....。
【思ったこと】
_10911(火)[心理]和田秀樹氏の『痛快!心理学』と行動分析(5)今年の授業終わる

 非常勤講師先で『痛快!心理学』(和田秀樹、2000年、集英社インターナショナル、ISBN4-7976-7022-3)を教科書として使用しているが、9/11の授業でいよいよ最終章まで進んだ。ここで、最終章(12章)前半のキーフレーズを5つほどとりあげ、行動分析の視点との類似点、相違点を考察してみることにしたい[引用を最小限度にとどめるため、表現を一部変更させていただいた。また引用順序は、出典の頁順ではない]。
  1. 過去を探る心理学から今を生きる心理学へ
  2. 「心を賢くする心理学」から「心を元気にする心理学」へ
  3. 「正常か異常か」から「病気か元気か」という視点へ
  4. 働くことこそ、最大の老化予防
  5. 「ワン・パーソン・サイコロジー」から「ツー・パーソン・サイコロジー」へ
 すでに何度が紹介させていただいたように、和田秀樹氏は東大医学部をご卒業後、精神科医として活躍されている。おそらく、スキナーやその他行動分析学関連の書物を一冊もお読みになっていないと拝察されるが、結果的に行動分析に酷似した特色を打ち出されているという点はまことに興味深い。

 まず上記1.に関してであるが、和田氏は19世紀の末のフロイト以後、この1世紀の間に、臨床心理学はその姿を大きく変えている点を指摘。そして、過去のトラウマを発掘して吐き出させる「カタルシス」的治療には疑問が投げかけられていること、「「昔」を振り返ることより、「今」の心のあり方を変えてやり、「今」をうまく生きられるように支えてあげることが、治療者の役割になってきました。」、「「心のモデル」のどれが正しいかなど、いくら議論しても正解がありません。ともすれば「不毛な論議」になってしまいます。...」などとと強調しておられる。

 行動分析も基本的視点は変わらない。習得性好子や習得性嫌子はもとより、強化一般に至るまで、問題行動が過去に強化されたものであるという点は前提ではあるが、そこで医学モデルなどを使うことはしない。過去の体験がどうあれ、今何ができて何ができないのか、今起こっている(起こっていない)行動は何によって強化(弱化あるいは消去)されているのかを常に問題にするのである。

 次の2.も行動分析の視点と酷似している。「心を賢くする心理学」というのは、フロイトやカーンバーグのように、解釈によって自我を鍛え直すやり方を意味しているのだが、精神や理性の力でコントロールするというのは大変なことだ。いっぽう、和田氏が「心を元気にする心理学」と言っているのは、コフート流の、ほめたり励ましたりして患者の心を支え、心地よい主観的体験をさせてあげる治療のことを言っている。「主観的体験」なる概念は行動分析とは異なるが、さまざまな強化によって元気にしていくという方法は結果的には同じ働きかけをしたことにつながる。

 次の3.は、個人本位で行動を考えるか、集団の平均値からの逸脱や個体間の差違から個人をとらえるかという視点にかかわってくる。行動分析はあくまで個人本位、いっぽう、パーソナリティを重視する立場は後者に関係が深い。そもそも「正常か異常か」という発想は、集団の平均値からの逸脱として議論されるものであって、個人本位の心理学にはなじまない。何をもって問題行動とするかは、周囲への迷惑の度合いや、生活上必要とされる適応的諸行動がうまく発せられないようなケース、あるいは個人が改善を望んだ場合に限られるべきものであろう。

 4.はまさにスキナーの『Enjoy Old Age.』 の発想である。ちなみに、行動分析学会ニューズレターの連載3回目でとりあげた宇野千代『行動することが生きることである』も同じ視点に立っている。生涯現役主義の重要性を説いたものである。

 最後の5.だけは、じつは行動分析学ではこれまであまり議論されてこなかった問題である。じっさい、個人が強化されるプロセスは普通は「ワン・パーソン・サイコロジー」、つまり無人島に漂着したロビンソンクルーソーでも当てはまるサイコロジーに近いところがある。これに対して和田氏の本では
  • 「自己愛」、「鏡」、「理想化」、「双子」を重視
  • いま問題となっているストレスや依存症の多くは人間関係に起因している
といった点が強調されている。これらは、人間関係の中で生じる「相互強化」や「社会的悪循環」という形で行動分析の枠組みでも説明はできるが、どちらかと言えば、「調べてみたところ、○○が好子(あるいは嫌子)になっていた」というように事後的に把握することが多いように思う。
  • 対人場面や集団場面ではどのような事象が好子や嫌子として機能しているのか
  • どのような好子や嫌子が随伴すると発達や社会化が促進されるのか
  • 誰がどういう文脈で好子や嫌子を付加することが効果的なのか
といった議論を進めていく必要があると思う。

 もう1つ、和田氏の本の中でもたびたび紹介されている“「客観性」にこだわらない心理学”であるが、主観世界というのは結局のところ、客観的に把握できる随伴性環境の中で個別に強化、弱化された「行動世界」と同じことを意味するのではないかと私は考えている。同じ客観世界の中で生活していても、能動的な行動の頻度・内容、あるいは行動随伴性に晒される機会は個々人によって異なる。それらを強化、弱化の差違として説明するのか、「主観世界でどのように組織化(オーガナイズ)されたのか」と説明するのか、という視点の違いだけであって、目ざす方向は全く変わらないのではないかと思ってみたりする。