じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ザクロ。この樹に関しては今年は豊作の年にあたる。過去日記を調べたところ、ザクロの実が熟した写真はおおむね9/20〜9/30頃にアップしていることが分かった。夏が早く訪れたせいだろうか。今年は2週間以上早いようだ。





9月9日(月)

【ちょっと思ったこと】

やっと秋の気配

 岡山県南部では、最低気温が24度台後半から25度台の寝苦しい夜が続いていたが、9日の朝には21.3度まで下がり、やっと秋の気配が感じられるようになった。私の住んでいるアパートは風通しが悪いため、夜になっても27〜28度より下回ることがなくエアコンに頼らざるを得ない日が続いていたが、やっと窓を開けて寝られる気温になってきた。これでやっと平年並みだとか。




日本、ナイジェリア、メキシコの順と言えば...

 ネットで調べ物をしていたところ、偶然、国勢調査トピックスというサイトがヒットした。私が小中学生の頃は、人口の多い国を順番に並べると、中国、インド、ソ連、米国、日本....という順であった。あれから35年、ずいぶんと変動があったことに驚く。

 まず順番のほうだが、中国、インドの次は米国。ソ連が崩壊したことで繰り上がり3位になったようだ。そのあとが、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ロシア、バングラデシュ、日本と続く。少子化の影響がジワジワ出てきたのだろう。日本はとうとう9位になってしまった。そして、そのあとが、ナイジェリア、メキシコの順だ。ナイジェリアという国はそれほど面積が広いわけでもなく、産業も無い国だと思っていたが、輸出額(原油がとれるためか)は南アフリカに次いで第二位(1992年)、かなりの大国であることが分かった。

 上掲のサイトによれば、2001年の世界の総人口は61億3400万人であるという。ところがその比率を見ると、「中国+インド」の合計だけで全体の37.6%、「米国、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ロシア、バングラデシュ、日本、ナイジェリア、メキシコ」の9カ国の合計が23.7%、そして残り全部の国を合わせて38.7%、つまり少数の国にいかに人口が偏っているかということがよく分かる。要するに、地球人10人のうち4人は中国人かインド人、10人のうち6人までが上記11カ国の人たちだけで占められているということだ。

9/10追記]外務省の公式情報には、「ナイジェリアはアフリカ随一の大国」と記されていた。アフリカ唯一のOPEC加盟国でもある。同サイトによれば、ナイジェリアの1999年の輸出額は115,72億ドルであり、南アフリカの265億ドルをはるかに凌いでいる。但しGNPは、南アフリカの1250億ドル(2000年)に対して363億ドル(1999年)となっていた。




「日本海」という呼称その後

 9/8の朝日新聞「どくしゃとつくる」で日本海の呼称問題を取り上げていた。9/4の日記でもこの話題は取り上げたが、いちばん差し迫っているのは、国際水路機関(IHQ)が11月末までに行う投票の結果らしい。このIHQには72カ国が加盟しており、過半数が賛成すると海図の指針から日本海という名称が外されることになる。

 記事によれば、IHQおよびその前身の国際水路局によって定められた「大洋と海の境界」の指針では、初版から第3版まで一貫して「日本海Japan Sea」の名が使われてきたが、来年改訂予定の第4版を前に、韓国が「植民地政策によって押しつけられた」ことを理由に「東海」に改めるように主張し始め、これが白紙化の提案につながっているという。それに対して同記事では、日本が鎖国中の19世紀前半に世界の8割近い地図が「日本海」という名称をつかっていた史実を挙げ、押しつけによるものではないとの海保・外務省の見解を紹介していた。

 記事に引用されていた、菱山・長岡「『日本海』呼称の変遷について」を見ると、日本海という呼称は17世紀前半から使われていたが、18世紀後半までは必ずしも多数ではなく、「東洋(オリエンタルオーシャン)」、「韓国海」、「中国海」という表記も同じ程度あった。19世紀前半には79%、19世紀後半には100%が「日本海」となっており、19世紀前半に定着していたことは間違いない(=日韓以外で作成された地図のみの比率)。国際的な基準・指針にナショナリズムを持ち込むと収拾がつかなくなる。自国内での事情がどうあれ、この種の判断は、多数決や力関係ではなく、史実に基づいて冷静に行われるべきであろう。

9/11追記]高岡眉さんからいただいた情報によれば、外務省のサイトの中により詳しい情報が記されていた。朝日新聞記事と内容がかなり酷似していたが、著作権上の問題は無いのだろうか。なお、記事の「韓国海」は外務省サイトでは「朝鮮海」となっていた。確かに当時はまだ「韓国」という国名は存在していない。なお英語版はこちらにあったが表示が遅く、まだ読めていない。