じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 8/27の日記で御紹介したナチュラルハート(ホヤの一種の愛称)のその後。それぞれの花の中心に茶色の芯のようなものが現れてきた。





9月4日(水)

【ちょっと思ったこと】

「日本海」がダメなら「インド洋」や「メキシコ湾」はどうなる?

 9月3日の朝日新聞によれば、中国・吉林省で2日、日本、中国、韓国などの地方自治体代表による国際会議が開かれ、会議の名称にあった「環日本海」を削り、「北東アジア」と表すことが決まった。この会議は、1994年に「環日本海圏地方政府国際交流・協力サミット」の名称で、鳥取、吉林省、韓国・江原美智、ロシアなどの自治体首長が参加し今年で8回目となるが、記事を見る限りでは、7回目までは「環日本海」が使われてきた。今回の変更の背景には、新たに参加を呼びかけている北朝鮮への配慮があったようだ。

 これとは別に、ベルリンで5日まで開催される国連地名標準化会議では、韓国と北朝鮮が「日本海」の名称変更を求めていたが、日本側の「具体的な地名の是非を論議する場ではない」という提案が分科会で支持され、協議対象となる可能性はなくなったという。

 日本人にとっては当たり前の呼称である「日本海」がこのような形で立て続けに問題にされるとは思ってもみなかった、このうち前者については理解できる面もある。1つの地名(あるいは海域)の呼称が参加国のあいだでマチマチである場合、そのうちの1つに統一すれば不公平が出る。これは、侵略とか占領支配とは全く別の次元の議論である。

 しかし、さまざまな国が地球規模の議論をする際に用いられる標準的な地名については、大多数の国で呼ばれている呼称を現実的に受け入れるというぐらいの寛容さがあってもよいと思う。「インド洋」や「メキシコ湾」など、特定国名と同じ呼称が海域に用いられているケースは他にもある。インド洋を「パキスタン洋」に変えろとか、メキシコ湾を「アメリカ湾」に変えろと言った話は全く聞かない。

 ところで、特定の国を連想させるような地名というのは他にもある。同じように係争が起こっているのだろうか。思いつくままに挙げてみると、
  • 朝鮮海峡(←韓国・北朝鮮ではどう呼ばれているのだろう)
  • 東シナ海・南シナ海
  • インドシナ半島(←要するに「印度中国半島」では?)
  • ヨルダン川(昔イスラエルに行ったことがあるがユダヤ人もそう呼んでいたと思う)
  • ペルシャ湾(←これに限っては、アラブ系の国はたぶん「アラビア湾」と呼んでいるはずだが、国際会議ではどう扱われているのだろうか?)
  • フィンランド湾(←昔エストニアに行ったことがあるが、確か同じように呼ばれていた)
  • イギリス海峡(←フランス人は何と呼んでいる?)
  • アイリッシュ海(←イギリス人は?)
  • デンマーク海峡(←アイスランド人は?)
ついでに、国内に目を移すと
  • 東京湾(←神奈川、千葉県民はどうする?)
  • 伊勢湾(←愛知県民は?)
  • 紀伊半島(←奈良、三重県民は?)
  • 津軽海峡(←北海道民は?)
  • 信濃川(←新潟県民は?)





修論テーマについて指導するとアカハラになるのか?

 1日前の記事になるが、9月3日の朝日新聞によれば、西日本の某国立大文系学部(←岡大ではない。念のため)は2日、指導教員に修士論文を思ったテーマで書かせてもらえないなどアカデミック・ハラスメントにあたる行為を受けたとする女子大学院生の申し出を受け、学部内に調査委員会を設けたという。また、学部長は指導教員に対して、この学生に当面接触しないよう指示を出したという。

 記事によると、申し出た女子大学院生は心理学専攻の修士2回生であり、卒業論文の追加研究を修論のテーマにしたいと相談したところ、指導教員から「主要な内容は卒論で書き終えている」などと認められず、不安な心理状態に追い込まれたと主張しているという。

 この記事では「思ったテーマで書かせてもらえないなど」というように「など」がついているところが気になるところだが、自分の希望するテーマで修論を書かせてもらえないというだけでアカハラになるとしたら、こりゃあ、全国いたるところで事件になりそうだ。

 私の知る限りでは、卒論や修論のテーマの選択の自由度は、文系と理工系ではかなり異なっている。理工系の場合は講座として取り組んでいるテーマがあるだろうし、実験設備上、そう好き勝手なテーマを選べるはずがないからだ。この点、文系の場合は理工系ほど制約を受けるわけではない。

 しかし文系といえども、修論レベルの研究に発展しえないテーマであれば却下されて当然であろう。もし、記事で伝えられている通りに「卒論で書き終えている」内容で修論を書こうとするならば、合格する見通しはない。ならば指導教員の親心として、別のテーマに変えなさいと助言してもよいと思うのだが、何がイケナかったのだろう。

 あるいは、「など」の部分に、公表できない内容が含まれていたのだろうか。このあたりは他大学にも影響があるので正確に報道してもらいたいところだ。

 ちなみに私自身は、修士の学生に「このテーマで研究しなさい」と強制したことは一度もない。どのようなテーマをもってきても、本人が望むなら否定はしない。但し、困難が予想されればそれを指摘するし、合格レベルに足りないところがあればちゃんとコメントする。自力で研究テーマが見つけられないような院生、あるいは批判されることがストレスになるような院生は、それが克服されるまでじっくり時間をかければよい(←修士課程の標準年限は2年となっているが、1年でも制度的には修了できるし、4年かかったからといって留年と見なされるわけではない)。テーマ選びから結論導出まで手取り足取り指導されて、指導教員のクローンみたいな論文を形だけ完成させたって何の価値も無いじゃないか。そんな修論を書いたって、修了後に自立できるはずがない。