じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] サルスベリ。駐車場工事の境界線間際でかろうじて生き残った株が見事に花を咲かせている。「百日紅」の名の通り、猛暑の中でもずっと花をつけている。





8月29日(木)

【ちょっと思ったこと】

あきらめたから、生きられた

 昼前にちょっとした用事があり車を運転したところ、NHKラジオ「私の本棚」で、

『あきらめたから、生きられた―太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか』
武智三繁 (著), 石川 拓治 (その他) 小学館、2001年


の朗読をやっていた。この漂流の話や武智さんというお名前はどこかで聞いたことがあるなあと思ったが、後で調べてみたら、昨年8月27日の日記で、少しだけ取り上げていたことが判明。その後、本が出ているとは知らなかった。さっそく注文した。

 ラジオで朗読された部分は、漂流後初めて釣りをしたあたりのところ。海の生命力はたくましい。漂流後まもなく、船底には藻や貝が付着しする。藻が広がると小さい魚が集まり、その小魚を求めてシーラやカツオがやってくる。根っからの漁師の武智さんは、最初は捕獲した魚の肉や既製のルアーで、後には、キーホルダーを加工したルアーで釣り上げるようになる。私などには到底マネのできない技であった。

 このほか、寂しさを感じない武智さんがラジオのナイターから流れる人の声を懐かしがる逸話なども紹介された。

 夜、ネットで検索したところcafeglobe.comのサイトの中に、かなり詳しいインタビュー記事があった。このほか、Amazon.comにも書評が掲載されていることが分かった。インタビュー記事の中では、諦めるということについて
人間って、だめだなとか、結果が出ないなとか、やってもやらなくても同じだと思うと落ち込んでいくじゃないですか。...........とりあえずやったほうがいいなと思えることはやったんです。ダメなものはあきらめましょう。でも、残っている条件の中でやれることはやりましょう、と。..........できる範囲でやればいい。できないものはできないんだから、途中でやめたっていい【一部略】
と語っておられたが、これは、行動分析の発想に一致するし、特に、障害児教育や高齢者の生きがいを考える上で重要な視点であると思った。また同じインタビュー記事では、
「あきらめる」という言葉には、仕方がないと思い切る「諦める」のほかに、明らかにする、事情などを明白にするという意の「明らめる」がある、と武智さんは言う
とも書かれてあった。念のため『大辞林』(三省堂)で調べてみたところ、確かに

明らめる:物事の事情・理由を明らかにする/心をあかるくする。心を晴らす。

という意味がちゃんと書かれてあった。そうか、今度、ゼミの学生が卒論・修論で弱気なことを行ってきた時には「諦めず、明らめなさい」と励ますことにしよう。

_20829(木)[心理]日本行動分析学会第20回年次大会(7)社会的随伴性をめぐるGuerinの理論

 年次大会最終日は、10時から口頭発表、昼は総会、そのあとPTSDについての特別講演、ワークショップという順で行われた。今回は、その中から、宮崎氏による「社会的随伴性に対する新しいアプローチ」を取り上げてみたい。宮崎氏はニュージーランドのワイカト大学で、Guerin教授に師事しておられる。Guerin氏は、

●Guerin, B., & Foster, T. M. (1994). Attitudes, Beliefs, and Behavior: Saying you like, saying you believe, and doing. The Behavior Analyst, 17, 127-129.

の論文で知られるように言語行動、態度、信念、社会的強化などの面で鋭い視点を提供しており、私のゼミや講読でも数編を参考文献に挙げている。

 さて、我々の日常生活行動の大部分は三項随伴性による社会的制御で制御されているが、これを分析しようとすると
  1. 社会的随伴性の多くは観察困難
  2. 社会的随伴性は、多くの異なった結果と結びついた複雑な並立スケジュールの形態をとる
  3. 観察者は、行動に随伴する結果のうち、直後に出現する観察容易なもののみに注目しがちになる
  4. 社会的随伴性の記述が「規範」などの形態をとる場合、それが実際に作用している随伴性を隠蔽してしまう
といった難しさが伴う(Guerin、2001、宮崎氏の抄録から一部省略して抜粋)。これらは、実験的行動分析よりも、社会学、文化人類学、歴史人口学、ゲーム理論などの方法論を援用し、個人に作用する個々の随伴性ではなく、社会や共同体における随伴性システム全体を分析する必要があるというわけだ。宮崎氏ご自身のお考えなのか、Guerin氏も含まれるのかは聞き逃したが、

●やまだようこ編 (1997).『現場心理学の発想』.新曜社.

の視点も取り入れられているようだ。ちなみに上記の出典は、

●Guerin, B. (2001). What makes human social behavior look so special? Putting psychology into social sciences. Mexican Journal of Behavior Analysis, 27, 263-284.

に掲載されているということだが、私自身は未だ入手していない。メキシコに行動分析の専門家がたくさん居ることは承知しているが、講読するほどの予算的余裕は無い。もう1つ紹介のあったGuerin(2002)というのもunpublishedだというが、できれば、ネット上で公開してほしいものである。

 Guerin氏はさらに、社会的随伴性の分析において、資源と人口、資源の社会的交換が基本的な要素となることを主張している。すなわち、資源と人口は相互依存的であり、資源の欠乏をめぐる対立は、内部で資源の交換を行う集団の形成により解決される。一般的な社会交換には、時、状況、社会行動の種類、人を超えた交換という4つの形態があるという(Guerin、2001)。このことに関して、エコマネーのように、人と人との間で交換されるサービスはどうなのか、ふと疑問に思った。物質的な資源は人口が増えれば欠乏するが、サービスは人に比例して増大する。時間的な制限はあるとはいえ、無限に近い可能性を秘めている。さっそくフロアから質問させていただいたが、Guerin自身の理論の中では、サービスの問題はまだ十分に位置づけられていないように思えた。

 このほか、Guerin氏がかつてから主張しておられる言語行動の社会的役割、「事実」の社会的構築機能などが紹介された。

 Guerin氏のアプローチは、「行動はその結果によって選択されるという点では同じ」だが、行動分析学が実験的方法に基づいて行動の予測と制御を目ざすのに対して、Guerinのアプローチは、研究方法を固定せず、現象の解釈や説明を目ざすものであるという。実験的方法や「現場」に関連する私の考えは、こちらの論文で述べたことがあるが、Guerin氏の論文を拝読した上で、いずれ続編を出してみたいと思っている。