じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 大学構内の用水で昨年の秋に捕獲した魚(おそらく、カワバタモロコ)を池に放してやった。水槽内では温度が高すぎて飼育が難しくなるためだ。代わりにホームセンターからベタを買ってきた。オス1匹、メス2匹。これで3つがいとなった。写真右は、今回購入した赤色のオス。 [今日の写真]





7月20日(土)

【ちょっと思ったこと】

ハイパー高砂部屋の「チャンコ」ご招待逃す

 2日続けて大相撲の話題。結びの一番のあと、横綱・武蔵丸を倒した朝青龍のことをネットで調べていたところ、ハイパー高砂部屋というサイトがあることを知った。さっそくアクセスしてみると、カウンターのところに
50000番目のお客様はメールを下さい。高砂部屋チャンコご招待&粗品を進呈致します。
というメッセージがあった。しかし、残念ながらこの時点ですでに5万を220ほど超えており、チャンコ鍋ご招待を受けることはできなかった。

 Web日記でもしばしばカウンターきり番企画というのはあるが、チャンコ鍋ご招待に粗品贈呈という豪華なものはそうは見かけない。これはぜひゲットしておきたかった。

 7/21の朝日新聞によれば、愛知県体育館の収容人数は約8500人、今場所は6割以下の5000人弱まで落ち込む日もあり、2001年の九州場所で記録した前年比9800万円の減収額を上回る恐れも出ているという。

 大相撲についての私なりの考えは7/11の日記にも書いた通りであるが、それとは別に、このハイパー高砂部屋のように、ファンと力士・親方をつなぐサイトがたくさんできれば、人気回復の大きな力になると思う。日頃の稽古の様子や種々のエピソードを知っていれば、応援にも熱が入るというものである。

【思ったこと】
_20720(土)[教育]通知表は、「絶対」評価ではなくアイテムのゲット数で

 通知表の絶対評価をめぐって、テレビ、新聞、Web日記などでさまざまな意見が寄せられている。私が見た限りでは、絶対評価への変更を手放しで喜んでいる人はゼロ。多くは、信頼性や客観性への疑問、また、評価する教師側の悩みの紹介に終わっている。こりゃあ、早急に手直しをしなければ大変なことになりそうだ。

 絶対評価が導入された背景には、相対評価への批判というものがあったと思う。競争を煽る、足をひっぱる、クラスや学校単位の格差がある、.....というように、クラス内での相対評価は確かに問題があった。しかし、それに代わる、信頼できる「物差し」を持たずに、絶対評価その判断を学校に任せてしまったことは重大な欠陥であった。なぜ、こんな決定がなされてしまったのか。教育学者や教育心理学者はいったい何をしていたのか、と言いたくなる。

 この問題については、3月17日の日記で、すでに私なりの意見を述べた。私が言いたかったことは、
  1. 義務教育は、「これだけは絶対に必要」という内容だけを教えればいい。
  2. それを超える部分は、義務ではなく、子どもたちにある程度選択の幅を与え、ボランティアの協力も得て、やりたいことをやりたいだけ学べるような機会を保障すべきだ。
という2点に絞られる。いずれにせよ、「達成すべき目標」なるものは具体的かつ細分化して設定されるものであり、それに対する評価は、「クリアできたか、できないか」のみとする。「60%クリアできたから、かろうじて合格」などということはあり得ないのである。

 つまり、子どもたちが理解しやすいTVゲーム用語で言うならば、各教科・科目において、どれだけのアイテム(=細分化された習得基準それぞれ)をゲットできたかを認定すればそれでよいのだ。それらを総合して、HPやMPといったポイントで表してもよいだろう。その増加は必ず「やる気」に繋がるはずである。

 もう1つ、これも3月17日の日記の繰り返しになるが、「これだけは絶対に必要」というアイテムは卒業までに絶対にゲットしなければならない。「60%クリアできたからエエやろ」などという無責任な教育ではいけない。ゲットできなかった子どもたちを集めて、繰り返し繰り返し教える場を設けることがぜひとも必要である。またそのためには、「これだけは絶対に必要」というアイテムを精選することだ。その基本は、

●大人になった時に「これを知らないと困る」ことだけに厳選すること。日常生活において知らなくて済むことは、義務的に教えるべきでない。

ということだ。そういう意味では、「生徒の学力」ばかりでなく、30歳〜60歳の「学力」も定期的に調査する必要があるかと思う。