じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] マツバギク。ピンク、赤、白、黄などいろいろあるが、花の色によって開花時期が微妙に異なる。この赤花はいまの時期だけ。ピンク系は別の季節にも咲く。昨年の5/17の日記にも似たようなことを書いた。今年はこの花についても1週間ほど早く見頃を迎えている。





5月9日(木)

【思ったこと】
_20509(木)[心理]喫煙ステレオタイプ論議

 5/1の日記で、NHKためしてガッテン「特集!がん徹底予防術」を取り上げた。その最後で
【がん予防】14ヵ条(ほかに番外として禁煙がある)を厳密に守るとかなり窮屈な生活を強いられるようにも思う。タバコのように周囲に迷惑を及ぼす行為は慎むべきだろうが、それ以外は、あまり気にせず、ストレスを避けて気楽に過ごしたほうが結果的に癌にかかりにくいようにも思える。
と記した。連休後半の帰省後に他の方の過去日記を拝見していたところ、ある愛煙家の方がこれに関して
上記の表現は、タバコを吸うという行為を無条件に「周囲に迷惑を及ぼす」と断定し、ルールとマナーを守って喫煙を楽しむ愛煙家をも差別し貶めるものであると感じた....
と反応しておられた。私が言いたかったことは、
  • 14ヵ条および(あまりにも当然なので14ヵ条にすら含まれていない)禁煙をすべて守るとかなり窮屈になる。
  • もしその中で1つだけ止めようというのであれば、「赤身の肉は1日80g以下」を守るよりは、周囲に迷惑を及ぼすことの多い喫煙を止めたほうがよいのではないか
という意味であった。当該の番組の中でも伏流煙の害について言及されており、喫煙がもたらす迷惑行為を強調することは決して文脈から外れたものではないと思っている。但し、私の表現が足りないために、「すべての喫煙行為が他者に迷惑を及ぼす」という印象を与えてしまったのは残念。ここは、せめて「たばこのように周囲に迷惑を及ぼす可能性の高い行為は慎むべき」というように、非断定的に記すべきであった。

 上記の非は認めるとしても、この愛煙家の方も別の面でステレオタイプな反応をしているように私は思う。なぜなら、私が、喫煙という行為についてしか言及していないのにも関わらず、愛煙家という人間を差別しているかのように受け止めておられることだ。行為を批判することと、その行為をする人間(あるいは人格)を批判することは全く次元が異なる。

 少々脱線するが、ネット上の議論でも、発言内容について批判することが発言者個人への人格攻撃であるように受け止められることがある。これは批判する側の言葉のたりなさという問題と、批判される側の受け止め方という問題の両方に起因していることが多いが、いずれにせよ、「人間」を批判するようになってしまったらもはや建設的な議論は成り立たない。しかし現実の日本では、ムラ社会の影響だろうか、発言内容をストレートに批判すると「人格攻撃である」と受け止められることが多いように思う。

 もう1つ、この方は
あまりよくはわからないのだが、『ステレオタイプ化』が行われているのではないだろうか? A型は几帳面、O型は外向的、そしてタバコを吸う人間は皆、他人の迷惑を顧みない○○○野郎というわけである。
と述べておられた。人間ではなく行為を問題にすべきだという点は上に主張した通りであるが、仮に人間を問題にするとしても、血液型ステレオタイプと喫煙者の迷惑行為の問題は同等に扱うべきではないと思う。

 血液型性格判断については、かつていろいろと考察したことがある。はっきり言えることは、何年たっても何十年たっても、血液型人間「学」の支持者たちは、「血液型と性格はゼッタイに関係がないとは言えない」という「否定の否定」に終始し、みずからは何ら体系的な人間学を構築できないままでいるということだ。100通りのサンプルを集めれば、そのうちの5通りのサンプルで「A型には几帳面な人が多い」という「統計的に有意」な結果が得られるかもしれない。その都合のよいデータだけをつまみ食いして、残りの95通りには目もくれず、「このサンプルでは有意差があった。それでも、血液型と性格は全く関係が無いと言えるのか」などとナンセンスな議論に終始しているのである。

 上記の引用部分に関して、面接試験で2人の候補が残ったと仮定してみよう。そのさい、2人のうちの1人について「血液型がA型である」という情報を得ることは、そちらのほうの人が「几帳面である」という蓋然性を高めることには断じてならない。にもかかわらず、面接官が「A型の人のほうが几帳面と思われるので採用」という判断を下したとしたら、これは明らかに血液型ステレオタイプによる差別であると言わざるを得ない。

 では同じ場面で、2人のうち1人が愛煙家、1人が嫌煙者であったらどう判断すべきだろうか。
  • まず、喫煙行為以外の日常生活場面で、愛煙家が嫌煙者に比べて「他人の迷惑を顧みない○○○野郎」であるかどうかは判断できない。愛煙家であるという情報を得ることでそのように決めつけることは差別につながる。
  • 喫煙に起因する迷惑行為に限って言えば、嫌煙者はそもそもタバコを吸わないのだから迷惑を及ぼす可能性はゼロである。愛煙家の中には、周囲の迷惑を顧みずタバコを吸う人が居るので、可能性はゼロとは言えない。従って、愛煙家である人を採用した場合、職場の人が伏流煙の害を受けるかもしれないという蓋然性は高まる。
  • とはいえ、こんかい引用させていただいた日記作者のように、愛煙家の中には、ルールとマナーを守って喫煙を楽しむ方もおられる。そういう方は、おそらく喫煙以外の日常場面においても、嫌煙者以上に、周囲を思いやる気持ちが強いという可能性もある。このあたりまで調べられるかどうかが面接官の腕の見せ所であろう。

 もう1件、「ルールとマナーを守って喫煙を楽しむ」ことについてだが、新幹線の喫煙席や、レストランの喫煙エリアでタバコを吸うことは全く迷惑でないかと言われれば、そうとは限らない。
  • 新幹線の中では、乗り換えを急ぐ都合で、1号車の禁煙車両から5号車まで移動することがあるが、その際にはタバコの煙もうもうの喫煙車両を通らなければならない。
  • 病弱でどうしても指定席を確保したかったが、予約の都合上、喫煙車両に回された人だっているはず。本当に迷惑に配慮する愛煙家であれば、喫煙車両に座っている乗客全員に許可を得てからタバコを吸い始めるべきである。
  • 車内販売員のように、やむを得ず喫煙車両で仕事をしなければならない人もいる。
  • レストランでいくら喫煙エリアと禁煙エリアを分けたところで、同じ室内であれば煙はいくらでも移動する。喫煙席と背中合わせになった禁煙席など、ほとんど意味がない。

5/10追記]元の番組の書庫はこちらにある。タバコについては、最後の部分で
なぜタバコが番外? 発がん性がはっきりしているため。14か条に改めて入れるまでもないが、がん予防には不可欠なので番外となっている。
と記されている。