じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ディモルフォセカ(正式にはオステオスペルムム)。2年ほど前に植えた株が見事に成長した。左の写真だけ見ると高原のお花畑を連想させるが、実際は、写真右のような位置関係にある。 [今日の写真]





4月28日(日)

【思ったこと】
_20428(日)[心理]遊園地、動物園、水族館、植物園

 昼に視たTV番組によれば、全国各地の名遊園地が次々と閉園に追い込まれているという。そのなかには、二世代、三世代にわたって親しまれた宝塚ファミリーランド向ヶ丘遊園が含まれている。向ヶ丘遊園は、私が子どもの頃にも何度か遊びに行った。確か、駅を降りてちょっと歩いたところに遊園地行きの電車があったと思う。もっとも親がケチだったせいか、いつもその横を歩かされた。このほか、その線路沿いで行われた植物観察会にも参加したことがあった。

 このほか、子どもの頃の一番の楽しみだった二子玉川園、北九州の「いとうづ」動物園、香川のレオマワールドなどもみな閉園に追い込まれている。

 遊園地の遊具については昨年1月26日の日記で書いたことがあるが、娯楽が多様化し、その一方でバーチャルな技術が進歩したいま、グルグル回るだけ、多少の加速度を感じるだけの乗り物はすぐ飽きられてしまう。自分で運転したり、ゴールを探したりする「オペラント型」の遊具を備えるか、よほど装飾に手を加えるか、景観を大切にしない限りは飽きられてしまうのは必至であろう。




 つぎに動物園の話題。少し前のローカル番組で、広島の安佐動物園のオランウータンが国内での繁殖目的のため別の動物園に移送されるニュースを伝えていた。安佐動物園にはゴリラも居ない。上野動物園では強い要望があったためにライオンの飼育を再開したとか。各地の事情はさまざまだが、動物園のほうも総入場者数が減っていると聞いた。

 番組の中で動物園関係者が話していたように、多種類の動物を檻に入れて見せ物的に展示するような動物園はもはや時代遅れ。これからは、それぞれの動物の生態を尊重し、かつ、動物の形態ではなく生態が観察できるような工夫が求められるように思う。

 その際には、それぞれの動物を「種のサンプル」という扱いで見せるのではなく、個体別の特徴を記し、生育歴や一日の行動を細かく解説することも大切だと思う。学生・院生時代にはよく京都市動物園に通ったが、馴染みの個体と対面するだけでも心がなごむものである。

 よくある「サル山」なども、個体番号が分かるように顔に入れ墨を入れ(←研究施設の放飼場では一般的)、家系図や順位などの解説をつければ、ずいぶんんと面白味が増すと思う。




 水族館については最近はあまりニュースを聞かないが、癒しの効果は動物園以上にあるのではないかと思う。動物園ではたいがいの動物が暇をもてあまして昼寝しているのに対して、水族館の魚は悠々と泳いでいる。水槽が狭くても、その中でちゃんと生活しているという実感が伝わってくる。それと、動物園の檻は都市空間の狭いマンションを連想させるが、水族館は広々とした大海を連想させる。水の中という「異次元空間」に接する喜びもあるのかもしれない。




 最後に植物園。いちばん近くにある岡山市の半田山植物園に限っては、最近は入場者数が増えていると聞いた。園内が整備されたことに加え、各種の催しに集まる人々も多いらしい。昨今のガーデニングブームのもとで、愛好者の集いのセンターとしての役割を果たし続けることになるかと思う。

 とはいえ、花苗の「グローバリぜーション」は何とかしてもらいたいものだ。以前、札幌の道庁〜大通り公園にマリーゴールドやインパチュエンスがいっぱい植えられていてガッカリしたことがあった。そればかりかイラン国内庭園にさえ、アゲラータムが植えられていた。いずれも、行きつけの花屋で1ポット48円で売っているものと同種である。イランの場合は、おそらく、砂漠のありふれた花とは違った花を見たいというニーズがあるのだろうけれども、日本国内の植物園では、できる限り、その地域の特色を出した植物を大切にしてもらいたいものだ。かく言う私も、花屋から、ガザニア、インパチュエンス、ポーチュラカ、ディモルフォセカ、アイスランドポピー、サルビアといったありふれた苗を大量に買い込んで、ベランダのプランターや大学構内の空き地にせっせと植えて、「花苗グロバリぜーション」を助長している一人ではあるんだが.....。