じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] クリムソン・クローバー(ストロベリー・キャンドル)。今週の花壇の記録によれば2000年は5月7日に見頃と書かれてあった。今年は2週間も早い?





4月22日(月)

【ちょっと思ったこと】

「昭和30年代」の人気

 4/20の日記昭和30年代の写真日記を開始したと書いたが、4/23の朝日新聞によれば、巷でも「昭和30年代」があちこちで再現されているという。

 新聞記事によれば、
  • 去年4月、横浜市内のショッピングセンター「横浜ワールドポーターズ」に「ハイカラ横町」がオープン
  • 4/27には小田原市内のファッションビルにも同様の施設がオープン
  • 昭和360年代をテーマにした「昭和なんでも博覧会」が全国各地で移動開催。
このほか、グリコのキャラメルに昭和30年代のおまけをつける企画や、原由子さんによる昭和30、40年代の歌謡曲をカバーしたCDが1カ月で40万枚の売り上げを記録するなど、いろいろな分野で脚光を浴びているという。

 昭和30年代というのは西暦で言えば1955年から1964年までの10年間にあたる。1952年生まれの私にとっては3歳から12歳という、人生にとっていちばん重要な発達の時期にあたっていた。薪で焚く風呂釜、練炭火鉢、ゆたんぽ、真空管ラジオ、裸電球、たらいと洗濯板、ブリキ製品、蓄音機、ボンネットバス、都電などが、ガスの風呂釜、電気コタツ、テレビ、蛍光灯、洗濯機、プラスチック製品、電蓄、地下鉄などに取って代わる時代であり、また冷蔵庫の普及により、物売りや地元商店街の活気が衰えつつある時代でもあった。さらに1964年の東京オリンピックの前後から、環七通りの排気ガスと騒音、住宅地のアパート・マンション化が進み環境が悪化していく。記事では「時代に力がみなぎり夢があった」と書かれていたが、「どこの家にも陽の光が降り注ぎ、屋根に上れば富士山が見え、狭い路地にも夕日がさしこむ人間らしい暮らし」ができた最後の時代であったかもしれない。

 昭和30年代の写真日記の4/18付にも書いたのだが、当時は、私の家ではゴミは一切出していなかった。生ゴミは穴を掘って庭に埋めていたし、燃えるものは、薪や石炭を入れる前に風呂釜で燃やしていた。紙や木製品ばかりだったから燃やしても有害物が出る恐れはなかった。単に郷愁ではなく、当時のライフスタイルにはもっと学ぶべきリサイクルの知恵がいっぱい詰まっていると思う。