じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 3/30の日記で、冬越ししたアシナガバチのうちの1匹が新しい巣を作っていることを報告した。もう1匹[3/21の日記の右の写真参照]の消息が気になっていたのだが、なんと、自分の生まれた巣を傘にして、そこからぶら下がるような巣を作り始めていることを確認。いまふうのリサイクルの生活スタイルは大いに結構なのだが、古い巣の耐久性は大丈夫なのだろうか。





4月12日(金)

【ちょっと思ったこと】

「クレヨンしんちゃん」映画に感動するわたし

 「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶモーレツオトナ帝国の逆襲」を途中から観た。クレヨンしんちゃんの映画というのは、たいがい、侵入者が現れて全国が大混乱、それに対して子ども軍団や野原一家が立ち向かうというワンパターンの筋書きになっており、この日も例外ではなかった。しかし、今回のはテーマがちょっと違う。終わりのほうのシーンでは懐かしさのあまり涙が出てくるほどだった。

 この映画は、春日部市内を初め全国各地で大人達が失踪、20世紀の懐かしさのニオイに心を奪われて古き良き生活に埋没するという設定であったが、映画に出てきた昔ながらの活気のある商店街、八百屋や魚屋の店先、タバコ屋の街角、板塀、平屋や二階建てだけの低層住宅街に差し込む夕日、ゴミ箱、そば屋の出前、軽三輪自動車の配達.....などは、みな私が世田谷で生まれ育ったときの風景そのものであった。

 あの映画は、今の子どもたちよりも昭和30年代に子どもだった、40歳代から50歳代に感動を与える内容ではなかったかと思う。ディズニーシーやUSJには全く興味の無い私だが、もし日本のどこかに昭和30年代の街並みがそっくり残っていたら何百万円かけてもそこに旅行してみたいし、できるならそこで2週間ぐらい生活してみたいと思う。映画では、「20世紀に戻るか、家族を第一に先に進むか」を対立的に描いていたけれど、短期的な体験だったら家族と一緒に昭和30年代を体験することは充分に両立可能であると思う。

 余談だが、あの映画に出てきた風景はどう見ても昭和40年代ではなく30年代だと思う。とすると、しんちゃんのパパやママは40歳から50歳、しんちゃんとひまわりは中学生〜高校生になっていないと話が合わない。ま、同じツッコミを入れるなら、磯野波平やフネさんはそろそろ世界最長寿者になっている頃、ということになろうが。




トルシエ監督の接吻/ガラス張りの研究室

 関西の大学のフランス語の授業の一環として、トルシエ監督の講演会が開催されたという。終了後、花束を渡した女性に監督が接吻をしようとしたが、女性のほうは見た目にはイヤイヤをしているようなそぶりを示し、やっと接吻を受け入れた。西洋人の挨拶としてはごく普通のやり方なんだろうが、日頃何かと気をつかっている大学教員からみるとセクハラをしているようにも見える。少なくとも日本人の教員が花束をくれた女性に接吻したら懲戒処分モノだろう。

 そういえば、3/28に訪れた前任校では、最近、すべての研究室のドアをくりぬいて透明なガラスの小窓をはめ込む工事を行ったという。これもセクハラ対策の一環であり、ガラス張りにすることで、研究室内では疑惑を招くような行為は一切やっていませんという意図が込められているとか。また、同席した某教授は、女子学生が室内に入ってきた時には両手をバンザイにしたままで応対する言っておられた。ちなみに私は、研究室内には学生を入れないように気をつけている。