じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 昨年12月9日の日記で紹介したアシナガバチの巣のその後。エアコンの排水パイプの中で冬を越したハチが何匹か出てきた。このあとの復活が楽しみだ。 [今日の写真]





3月21日(木)

【ちょっと思ったこと】

騙される人の自己責任

 3/22の朝日新聞によれば、「出資金が1年で2倍になる」との触れ込みで5万人から1500億円余りを集金して破産宣告を受けた健康食品販売会社「全国八葉物流」について、警察庁は週明けに出資法違反容疑で強制捜査に乗り出すという。総資産額は81億円、会員約8000人には配当や紹介料として出資額のほかに約271億円が支払われたが、約4万人には出資金を返していない、会員の多くは中高年の女性で、年金生活者もいるという。

 同じ日には、「消費者金融で金を借りるだけで数十万円稼げるアルバイトがある」という言葉を信じ込み、借りた金をだまし取られる「借金バイト」の記事もあった。こちらのほうは、問題化して数年たつにも関わらず、近畿や四国を中心に20歳代の若者を中心に約2000人の被害が表面化している。このうち、大阪では「マイカー流通センター東海」を名乗る井村基宏容疑者(25)関連で被害者は約1000人、被害総額は13億円にのぼるとみられ、また徳島では、自称「ロイヤル通販」経営の大石ゆかり容疑者(38)関連で約1000人、被害総額は10億円を超す可能性もあるという。

 「八葉物流」にしても、「借金バイト」にしても、「本当に儲かるのか?」について批判的に検討すれば騙されるはずがない。「借金バイト」の場合も「まじめな友達の紹介だったし、青年【=容疑者】も信頼できそうだった」とか、「海外で運用するので返済しなくていい」と言われてキャッシュカードで借金するなど、主体的な判断力が著しく欠けている。あるいは仕組みを理解した上で共犯者になっている者も居るのではないかと、疑われるぐらいだ。

 かつて金のペーパー商法で約2000億円を集めた豊田商事事件では、セールスマンたちが孤独なお年寄りの相談相手として近づくなど、高齢者福祉の本質に関わる問題もあった。とはいえ、悪徳商法や詐欺は、騙される側にも自己責任がある。いくら警察が取り締まったところで、甘言につられる者が居る限りは犯罪が無くなることはあるまい。

 騙された方には気の毒だが、「被害」、「被害」と騒ぐ前に、自己責任を明確にしてほしい。騙し取られた金を取り戻そうと考えるのは甘えすぎだ。戻るお金があるなら、まずは警察の捜査費用と今後の防止対策に充てるべきだと思う。

 ついでながら、私の研究室には、凝りもせずに「先生方の節税対策として、マンション経営を...」などという勧誘電話をかけてくる者がいる。それが詐欺なのか真っ当な商売なのかは分からないが、とにかく、そういう勧誘で騙されるヤツはどんどん騙されたらいいと思っている。そもそも勤務時間中に公用の電話で金儲けの相談をするなど言語道断であるし、正体の分からない相手の言葉をあっさり信じ込むなどバカげている。そういうヤツは、さっさと破産して大学から去ればいい。
【思ったこと】
_20321(木)[教育]大学はレジャーランドか

 3/20の朝日新聞「私の視点」:
●大学「レジャーランド」脱却図れ[川成洋・法政大学教授(スペイン史)]

を拝見した。最終結論の「起死回生の妙策は、学生の学力向上」という部分はもっともなことだと思うが、その理由づけの部分に関してはいくつか納得のいかないところがあった。

 まず、川成氏は、国立大学の6割がリメディアルと称する高校指導内容の補習教育を実施しているにも関わらず学力低下は食い止められないとし、その原因として、特に
  1. 旧文部省の義務教育における「ゆとり教育の促進」に基づいた80年と92年の学習指導要領を実施したため
  2. 91年の「カリキュラムの大綱化(自由化)」によってもたらされた、全国の大学の教養部の廃止と教養科目の大幅圧縮
  3. とくに私大の場合、少子化による受験生の青田買いのために、前年の10月ごろに学力テストをいっさい行わない推薦入試やAO入試で、入学定員の約5割も入学させている。
という3点を強調しておられるようだった。

 しかし、1.のような形で学校内で「ゆとり教育」が促進されたとしても、学校外で受験勉強が活発に行われている限りは(試験問題で測られるような)学力は決して低下しない。となると、主たる低下の原因は、義務教育の「ゆとり」によるものではなく、むしろ、少子化と進学率のアップによって、かつては合格ラインに達しなかったレベルの受験生が大学に入れるようになったためであろう[なお、少子化と進学率アップに関しては有馬朗人氏の講演についての感想記事をご参照いただきたい]。

 それとそもそも高校だって、何も勉強しない生徒まで卒業させるわけにはいくまい。川成氏は「高校卒業の基礎学力を持たない学生は入試段階でチェツクすべきである」と主張しておられるが、ほんらいは、「高校卒業の基礎学力を持たずに高校を卒業できるはずがない」のである。高卒の資格が無ければ原則として大学には入れない。であるなら、入試段階で(選抜試験ではなく)資格試験的に改めて基礎学力をチェックするということは、高校側が、いい加減な成績評価のまま生徒を卒業させていることを暗に前提としていることになる。

 2.の91年の「カリキュラムの大綱化(自由化)」に関しても有馬朗人氏の講演感想記事をご参照いただきたい。

 3.および、その解決策として、
お為(ため)ごかし的な入試をいっさいやめて、学力テスト一本に絞るべきである。それも、入試科目を5教科に増やして、高校卒業の基礎学力を持たない学生は入試段階でチェツクすべきである。こうした入試改革は、あえていえば、日本社会全体に蔓延している「知性の劣化」ないし「教養と文化の解体」の防止策として、緊要の課題である。
と述べておられる点だが、定員割れをおこしている大学でそれをやっても、1位から最下位まで順番のつけられた受験生が全員入学してくるだけのことであって、レベルアップには貢献しない。資格試験的に扱い、定員割れを承知で一定レベル以下を不合格にするというなら話は別だが、それでは経営が成り立つまい。昨年7月1日に行われた「大変革期の大学」講演会でも提唱されたように、「エリート大学」「マスの大学」「ユニバーサルの大学」という種別化は避けられないのではないかと思われる。

 次に
研究面では全く無能だが、権力欲だけは旺盛で、教授会を「談合の場」に陥れている「学内政治家」を徹底的に排除しなくてはならない。教授陣の質が大学の評価を維持する重要なファクターとなっているからである。
と述べておられる点だが、「学内政治家」の排除はもっともであるとしても、「研究面で有能」ならそれでよいということにはなるまい。やはり、「教育面で有能」であることはどうしても求められるのである。特に、外国語教育をちゃんとやるためには、外国文学の専門家ではなく外国語教育の専門家が多数必要である。その場合には、採用基準も大幅に異なってくるだろうし、教育実績に応じた待遇も考える必要がある。




 以上、川成氏の御主張について感想を述べさせていただいたが、そこから離れた一般的な問題として、そもそも、「低下」している「学力とは何か?」をもっと考える必要があると思う。

 例えば「分数ができない大学生」とか、簡単な方程式さえ解けない大学生が居るなどとよく言われるが、あれは、中学・高校での「ゆとり教育」で教わらなかったせいではない。ちゃんと教わったのだが、大学に入ってから使う機会が無かったので忘れてしまっただけのことである。

 また、大学生の学力低下を言う前に、大学教員がセンター試験でどれだけの点数を取れるかも一度調べてみたほうがよいだろう。おそらく、合格者の最低点を上回ることのできる教員は1割にも満たないのではないか。そういう教員たちが、センター試験問題も見ずに、5教科7科目のほうがいいなどと主張しているのである。




 「学力とは何か」を根本的に考えていくと、いろいろな誤解や固定観念があることに気づく。かつて欧米では、「ラテン語を学ぶと、一般的な学習能力が高められる」ということが通念となっていたという。しかしこちらの論文でも指摘したように、ある分野で学力を高めたからと言って、何らかの万能な能力が高められるということはあまり期待できない。抽象能力のレベルにおいて、高校までで鍛えられたことが大学入学後あるいはそれ以降の勉学にどう役立っているのかは、あまり検討されていないし、そういう資料に基づいて中学・高校の授業科目が構成されているわけでもない。

 では、中学・高校で教えられる科目が本当にムダの無いものなのか、大学進学後や社会に出た時に必要なものなのか、と考えてみても大局的な検討がなされているかどうかは疑わしい。現行の科目の専門家が、「私の教えている科目はぜひ必要だ」と(一部、保身のために)主張しているだけだ。早い話、心理学や文化人類学はなぜ高校で教えられていないのだろうか。




 元の話題に戻るが、推薦入試やAO入試を安易に取り入れるべきでないという点は、私もそう思う。但し、それは、学力の無い学生がたくさん入ってくるからという理由ではない。推薦入試やAO入試ばかりで入学させてしまうと、受験生は、自分がどう頑張ればよいのか、具体的な目標を失ってしまう。「人物や志望動機で選ぶ」などと言われても、何をどう努力してよいのかさっぱり分からない。それよりは、「将棋や囲碁の有段者であること」とか「TOEICで○○○点以上」というような具体的な評価項目を作って、そのうちのどれかを満たした者を優先的に入学させる仕組みにしたほうがよい。