じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 4月11日は、本年度のゼミの第一回目。終了後に芝コンをやろうという話があったが、あいにく午後から雨となり、室内に移動。写真左半分は、会場予定地の文学部中庭。写真右半分は2年前の4月11日の風景。今年の桜がいかに早く散ってしまったかがよく分かる。





4月11日(木)

【ちょっと思ったこと】

プロの厳しさ

 21時15分からのNHKにんげんドキュメント「契約金ゼロに挑んだ男たち」(番組紹介サイトはこちらから)を視た。社会人野球の名門チームが会社の経営上の都合から廃部、27歳のキャッチャー池谷深谷(←お名前を間違えて失礼しました。デジクリ様、掲示板でのご指摘どうも)選手が一軍入りをめざして頑張るシーンが印象的だった。このほかにも、いったんは中学教師になりながらプロの夢を捨てきれずにプロ入りした投手も紹介されていた。この投手の場合は、大学時代には140kmの速球を投げる実力を持ちながら、たまたま上原投手と同じチームだったために活躍の場が無かったという。

 ふだんTVで見るプロ野球中継では、厳しい競争の中で勝ち残った選手の顔しか見えてこない。それぞれスランプがあるとはいえ、基本的には成功者の集団だけを見ているのだ。しかし現実には、その陰で夢が叶わず去っていく人もいる。こういう人たちの苦労も重ね合わせて中継を眺めると、敗戦処理のために交代で出てくるような新人選手のたった一度の出場機会にも実は壮大なドラマがあるということに気づく。

 上記の深谷選手の場合も、ワイルドピッチを体の前に落として進塁を防ぐといったひたむきな姿勢がかわれて一軍に登録されるが、4試合中で出場できたのは1打席1三振のみ。再び二軍に落とされたという。岡山でパリーグの中継がどの程度あるのか分からないが、今度出場の機会があった時にはぜひ声援を送りたいものだ。




百武裕司氏死去

 百武(ひゃくたけ)彗星の発見者、百武裕司氏が10日、大動脈破裂のため死去、51歳だったという。この彗星は小型ながら1996年に地球に大接近。最接近日には岡山では運良く晴れ上がり、家族総出で岡山空港近くの山まで見物に行ったことがあった。肉眼で確認できる尾の長さはヘールボップ彗星を遙かに凌ぐものであった。それにしても51歳とは、あまりにも若すぎる。
【思ったこと】
_20411(木)[一般]大学環境におけるランドスケープ、グランドデザイン

[今日の写真] [今日の写真]  文化科学研究科(独立大学院・博士課程)棟の新築工事に伴って、東側の老朽施設と樹木が撤去され、左の写真のように煉瓦を敷き詰めた広場が完成した(左の写真の左半分が工事後、右半分は3/4に撮影した撤去前の様子)。また、この工事に付帯された予算によるものだろうか、文学部西側には、右の写真のような駐車場が完成した(←右の写真の左半分が完成後、右半分は2000年1月17日の日記で紹介した水たまりの写真)。

 それぞれの写真の右半分と左半分を比べると、大学の自然環境がどのように作り替えられていくのかがよく分かる。ひとつは緑地をなるべく少なくすること。定削で用務員さんがゼロとなり、予算的にも外注で草刈りをしてもらうほどの余裕が無い。となると、「自然との共生」理念がどうあれ、とにかく、雑草を生えにくくするためには煉瓦を敷き詰めるしかないのである。

 右側の駐車場新設は、土地の有効利用という点からはやむを得ない措置であろうが、この地にはかつてはハルシャギクの大群落があり、水たまりではオタマジャクシが育ったり、トンボが飛び交ったり、また、敷地内にあったクスノキの大木(←工事のさい移植された)にはアカゲラがやってきたこともあった。車利用者の利便をはかるためだけに、大学構内をアスファルトで固めればよいというものでもなかろうと思う。

 もう1つ、今回の工事によって、「建物の入り口付近には広場、裏側には大駐車場が」配置されることになった。「入口付近に大駐車場、裏側に憩いの場」を配置することに比べると、アカデミックな美観を保つという点では妥当な措置といえる。しかし、これによって、大駐車場を利用するすべての車は、研究科棟とその右側の法文2号館の間の道路を通行しなければならなくなったのである。今後そのことによる騒音、排気ガス、交通事故などが危惧される。

 大学環境を考える際にいちばん問題となるのは、長期的なグランドデザイン(全体的構想)を専門的に検討する委員会が1つもないということだ。事務当局や予算関連の委員会は、予算の有効活用のことばかりを審議する。学部長は、大学改革や独法化問題で頭がいっぱいで長期的な環境対策までは考える余裕がない。交通安全関連の委員会は、かつて、総合的な交通安全対策の構想を立案したことがあったのだが、予算が伴わないので提案だけに終わってしまった。また、教員や学生の中には、大学をもっぱら「立ち寄り所」程度にしか受けとめず、車が停められる場所さえあればよいと考えている人も多い。

 昨年9月、人間・植物関係学会設立総会で行われた進士五十八(しんじ・いそや)東京農業大学長の基調講演にもあったように、対象を細分化せず、総合的で関係性に目を向けた長期構想を立てていかないと、大学環境はダメになってしまうと思う。また、そのためには、各学部からローテーションで選ばれるような委員とは別に、そういう環境問題を自発的に考えるボランティア組織のようなものも必要ではないかと考えている。