じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 今年の夏から定点観測している蜂の巣がある。仲間たちは、そして、あの活気はどこへ行ったのだろうか。最後まで生き残った蜂(女王かどうかは不明)が日だまりのほうに移動していた。右は10月16日朝の撮影。 [今日の写真]





12月9日(日)

【ちょっと思ったこと】

「宇宙大作戦」続き

 昨日の日記で、テレビ版「宇宙大作戦」のことを取り上げた。記憶がよみがえっているうちに映画版「スター・トレック」についても少しだけふれておきたいと思う。カーク船長、ドクター・マッコイ、ミスター・スポックが登場する映画は確か6作あったと思うが、はっきり思い出せるのは4作目のクジラ救出作戦と、5作目の銀河の中心のグレートバリアを越える話の2作のみであった。クリンゴン帝国との対決話はストーリーに変化が無く新鮮味に欠ける。

 4作目が面白いのは、現代(製作年当時)との接点があることに加えて、正体を隠して紛れ込むという、ありがちだが(「スーパーマン」、「水戸黄門、」遠山の金さん」、「怪傑ゾロ」などなど)、TVや映画の醍醐味がよく活かされている作品であったと思う。

 5作目は、いきなり砂漠のシーンがあったり、岩登りを楽しむカーク船長が出てくるといったユニークさはもちろん、最後までテーマが一貫している点で味わい深い作品であった。「スター・トレック」を一度も観たことのない人に1作品だけ薦めるとしたらこれになるかと思う。

 「スター・トレック」はその後も新シリーズが出ているようだが、個人的にはあまり興味が持てない。テレビ版、映画版を通じて、あの作品群は、カーク船長、ドクター・マッコイ、ミスター・スポックを中心とする強烈なキャラクターにこそ魅力を感じているからだ。
【思ったこと】
_11209(日)[心理]地域通貨とエコマネー(8):シール、スタンプ、トロフィーの価値を考える(4)達成間際になるとなぜ頑張るのか

 12/5の日記の続き。地域通貨やエコマネーの話題から脱線してしまっているが、今回は、ある目標が達成されつつある時になぜ頑張るのか、なぜ、やる気が出るのか、について考えてみたいと思う。

 誰でも経験があると思うが、もう少しでやり終えるという時には、徹夜してでも頑張ろうというやる気が出てくる。これは締切間際や試験前日にやむを得ず無理をするのと違う。例えば、
  • もうへとへとで一歩も進めないくらいにくたびれていても、頂上間際になると急に元気が出てくる。
  • 長距離競走のラストスパートはよく知られている
  • 勉強ドリル100回分はなかなかやる気が出ないが、あと数枚となると突然スピードが上がる。
  • 100枚の年賀状はなかなか書けないが、あと10枚となると一気に書き上げてしまう。
  • なかなか読み進むことのできない長編の論文でも、最後の数ページになると一気に読んでしまう。
などなど、いくらでも例を挙げることができる。

 一般的には、達成間近になれば最終結果にそれだけ近づくので、1回の行動に随伴する結果がより大きなものになるという説明が考えられる。例えば、42.195kmのマラソンコースを走る場合、最初の100メートルを走ることは、目標の100/42195だけしか達成したことにならない。ところが残り1kmのところで100mを走ることは残りを1/10も縮めたことになり、残り500mでは1/5、残り200mでは1/2、そして最後の100mはそれを走りきるだけでゴールに達することができる。走る距離は同じでも、残りの距離に対する比率が大きくなればなるほど、大きな結果になるためであろうという考え方である。

 この説明はおそらく部分的には正しいと思われるが、「残りあとわずか」であるほど強化的であるとは必ずしも言えないところがある。例えば、頂上に達するという最終結果が唯一の強化因であるならば、麓から登るよりもロープウェイで頂上真下まで到達し、残りの100m分だけを登ったほうが強化的になるはずだが、実際にはそれでは物足りなく感じる人が多い。あるいは、いったん頂上を踏んでから、ちょっとだけ下って再び頂上に登って万歳をする。これを10回繰り返すと10倍の喜びを得られるだろうか?否である。

 こう考えてみると、達成間際のほうが好子が大きいという説だけでは頑張りを説明できない。では他にどのような説明が可能だろうか。

 ここで、目標に向かって努力するという行動は、それなりの「無理」や「我慢」や「苦労」が伴うものであるという点を思い起こしてほしい。やりたいことを好き勝手に行う場合には、1回ごとの行動が直後の結果でそのつど強化される(直接効果的随伴性に基づく行動)。これに対して、目標に向かって努力するのは、「××という行動を続ければ最終的に○○という結果が伴う」というルールに基づいて維持される。「いま一番やりたいこと」をやっているわけではない。

 こうした「無理」、「我慢」、「苦労」は、一定の嫌悪的な状態となる。これは「早く止めたい」という嫌子消失の随伴環境を作り出す。

 目標に向かう努力はまた、「いま、止めてしまったらこれまでの努力は水の泡になる」という義務感をもたらす。これは、「××という行動を続ければやがて大きな好子が出現するが、行動を中止すればその出現が失われる」という好子消失阻止の随伴性がもたらす義務感と言えよう。

 さらにもう1つ。我々は本来、多様な行動リパートリーを自発し、多様な好子を享受することで「自由である」と感じる動物である。目標を達成するための準備行動に従事することは、それ以外の行動の自発機会を奪い、多様な好子を遮断することにつながる。これもまた「早く止めて別のことをしたい」という環境を作り出す。

 達成間際になるという状況は、「最終結果にそれだけ近づくので随伴する結果がより大きなものになる」という特徴に加えて
  • 「苦労」という嫌子が消失する可能性
  • 「止めたら水の泡になる」という好子消失阻止の義務感から解き放たれる可能性
  • 他の好子で強化される機会を復活させる可能性
を含むものではないかと思う。目標を達成した人が、
  • これだけのことができてうれしい。でも、もう同じことはやりたくない。
  • しばらくは、温泉でも入ってのんびりしたい。
  • これからは、気楽に楽しむだけにとどめたい。
などという感想を述べるのは、いま述べた可能性を示唆するものと言えよう。

 行動分析の世界でも、個別的な行動を強化(あるいは弱化)するという議論に加えて、目標指向システムのデザインが強調されるようになってきた(例えば、杉山ほか『行動分析学入門』、産業図書、334頁前後)。こうしたデザインを遂行するにあたっては、あらかじめ設定された強化の随伴性に加えて、今回述べたような、進捗に伴って派生する別のタイプの随伴性をも考慮し、その影響の大きさを明らかにしていく必要があるのではないかと思う。