じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 冬の間、黄金色に輝いていたセンダンから花桃に主役が交代。花桃が終わる頃には、今度は桜が咲き始める。





3月12日(火)

【思ったこと】
_20312(火)[電脳]坂村健氏の講演に感動するわたし(2)LinuxとTRONの違い/インターネットの問題点/アメリカ人にできないこと

 昨日の続き。坂村健氏の講演の後半では、Linuxの話題、インターネットの問題点、「超漢字」のデモなどが行われた。

 まずLinuxだが、はっきり言って私はこの件に関しては全く素人でありコメントできる立場にはない。知っていることと言えば、
  1. ATOKで「りなっくす」と入力してF4を押すと「Linux」に変換されること。
  2. 1991年にフィンランドのヘルシンキ大学の学生だったLinus Torvalds氏が開発。
  3. GNU GPL(General Public Licence)
ということぐらいである。坂村氏によれば、リナックスについては一部に「なぜグニュウLinuxと呼ばないのか」という声があること、「Linus氏はタンデンバウムとかいう先生と喧嘩してベタ書きしたLinuxを配っただけでそんなに偉くない。半分以上はマーケッティングの効果....」(←というようなことを話しておられたようだったが、面白がって聞いている聴衆の中で素人の私だけは何のことやら分からず、ちんぷんかんぷん)というような特徴があるということだ。おっと、このあたりは、坂村氏がそう言われたのか、私が勝手に言葉をつなぎ合わせて創作してしまったのか、記憶が定かでない。

 いずれにせよ、Linuxに比べてTRONが優れているのは、次の2点であるという。
  • Linuxはタイムシェアリングだが、TRONのコンセプトは「リアルタイム」
  • Linuxでは、改変した場合にソース・コードを添付、もしくはWebで常時公開することになっているが、TRONはそれを課していない。これは企業秘密の保持に貢献。
 余談だが、「GNU GPL」の概念は、ソフトウェアばかりでなく、文書の再頒布または変更に関しても導入されているようだ。エコマネーに関する文献を検索していたところ、鈴木健氏(東京大学)がこちらのような形で、GNUを導入していることに気づいた。ま、このWeb日記の再頒布に関する方針なんぞも、内容が有用かどうかは別として、GNUに近いところがある。いずれ暇ができたら、ネット上で公開している紀要論文がGNU準拠にできるかどうか検討してみたいと思っている。



 次にインターネットに関する話題。ご存じのようにインターネットプロトコル(IP)は、サーバーの場所や位置を無視するように作られている。ユビキタスはこれに対して、人間の生活空間を認識しているかどうかという点で決定的に違うという。

 一例として、目の前の自販機からネットを経由して缶飲料を買う場合を考えてみるとよい。わずかそれだけのことをするのに、インターネットではわざわざ遠方のネットを経由しなければならないのだが、TRONでは、もう少し場を活かしたリアルタイムは働きかけができるようだ。もっとも、私に言わせれば、自販機から缶飲料を買うだけだったら、コインをチャリンチャリンと穴に入れてガチャリと缶を出せば済むこと。わざわざコンピュータを介する必要は無いようにも思えた。

 ま、それはそれとして、何でもかんでもパソコンでやろうとすると無理があることは、講演を拝聴してよく分かった。それは包丁の達人がバナナジュースまで包丁で刻んで作るようなものだという。とにかく、携帯電話のようなコミュニケーションマシンの進化形として実現し始めているのだ。これはセキュリティ問題に関しても言えるものであり、しょせん、パソコンはコピーマシン、常駐している状態では秘密もプロテクトもあったものじゃない(←これは長谷川の言葉)。




 もう1つ、「協調/妥協動作」という概念も参考になった。複数の人間が関与するような環境では、Optimalな解の無いアルゴリズムが求められる。たとえば教室の室温を何度に保てばよいか、といった議論などだ。

 もっともこれも私に言わせれば、能動的な人間たちが少しの時間を割いて話し合って決めればそれで済むこと。わざわざコンピュータに判断を仰ぐ必要があるかどうかは疑問であった。この件を含め、「どこでもコンピュータ」が人類にとって本当に有用なものかどうかは、もう少し慎重に考える必要があるように思う。少なくとも、人間が能動的に活動できる機会を奪ってはならない。

 それと、私個人は、できる限りディスクトップのパソコンだけを使うようにしている。携帯は決して使わない。このことによって、仕事空間と、コンピュータから離れる空間のけじめがつけられる。もし生活空間の隅々までコンピュータが関与するようになると逆に煩わしさが出てくるのではないかと思えるところもある。




 講演の最後では「超漢字」のデモが行われた。確かに、1つのコードにまとめ上げられてしまう複雑な漢字の表記(たとえば、「高崎」さんの「崎」の字体とか、スッポン「鼈」の異字体など)、あるいは、日本語テキストの中に中国語や韓国語の文字を入れるところなどはTRONならではの強みだろう。少なくとも、中国文学の先生だったら飛びつくはずだ。




 以上が長谷川が受けとめた坂村氏の講演概要と感想である。もう一度まとめると、TRONのコンセプトは「リアルタイム性」と「オープン」にある。リアルタイム性とは、μsecオーダーを保証するということだけでなく、遍在性という点でも重要。「オープン」に関しては、TRONはAPI仕様のみを規定するだけであり、いまや組込型OSとして実績No.1を誇るようになった。

 終了後、5分ほど質疑の時間が与えられたのでさっそく私からも1つ:
朝、妻に「今日、坂村健先生の講演があると言ったら、坂村先生って誰?と聞かれたので、日本のビル・ゲイツみたいな人だと答えたのですが、本日の講演を拝聴して、そのような言い方は坂村先生にとって大変失礼な例えであることがよく分かりました。
さて、ビル・ゲイツと坂村先生の一番の違いは何か。それは、ビル・ゲイツは英語しか喋れないが、坂村先生は、英語と日本語を両方喋れるという点です。日本人にできて、アメリカ人にできないことはまさにここにあると思います。このことと、TRONのリアルタイム性を活かすならば、リアルタイムに日本語から英語に置き換える機能、つまり、日本人が英語の勉強のために多大な時間を費やすことから救われるような機能が開発できるように思えるのですが、その可能性についてはどのようにお考えでしょうか?
というような内容であった。これに対して坂村氏の回答は、TRONはOSであるので、翻訳機能まではサポートしない。しかし、リアルタイム性を活かしたアプリケーションソフトの開発も行われつつあるというような内容であった。

 時間が限られていたのでこれ以上の質問はできなかったが、私の質問の趣旨は2月2日の日記に基づくものであり、要するに、英語しか使えないアメリカ人に打ち勝つには、
  • 2バイト系もしくはそれと同等の表示機能により、多様な文字、シンボル、記号を活用したコミュニケーションをはかる
  • 文字列変換機能を拡大して、知的資産の活用に役立てる
  • 2つの言語体系のあいだのリアルタイムな変換をめざす
というような視点から優位性を固めるしかないのでは、といういことであった。




 御講演のあと、坂村先生はどういう機種のケータイを使っておられるのか、こっそり観察してやろうと思っていたのだが、名刺交換が長引いていてその機会を逸してしまった。それと、坂村先生は私より10歳は年長であろうと思って拝聴していたのだが、ネットで出生年を拝見してビックリ。なっなんと、1951年生まれ、つまり私より1歳年上なだけではないか。同じ地球上に生まれながら、50年間に成し遂げた仕事の量は、あまりにも違いすぎる。坂村先生は卯年で私は辰年生まれだが、体の大きさで比較するならむしろ逆であり、私の実績など、龍と比べたウサギぐらいの大きさにしか値しないと言えるだろう。まっ、そんな比較をしたところで、人生をやり直せるもんでもないけれど.....。