じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] サクランボの花。サクランボができる桜は彼岸桜の一種なので一足早く開花する。植えてから3年目の株だが、まだ50cmぐらいの高さ。





3月11日(月)

【思ったこと】
_20311(月)[電脳]坂村健氏の講演に感動するわたし(1)オープンアーキテクチャー/グローバルスタンダード

 3/11に大学内で行われた坂村健教授(東京大学大学院情報学環・学術情報学府教授)の講演会を拝聴した。坂村氏と言えば、TRONプロジェクトのリーダーであり、日本で数少ないコンピュータ・アーキテクトとして世界的に名が知られている。15年以上前からそのご活躍ぶりを伝え聞いていた私にしてみれば、ビル・ゲイツに直接会うのと同じぐらいの重みがあった。

 これだけの有名人が来られるのだからひょっとして満員札止めになるのではと思い、自然科学研究科棟・大講義室に20分前に駆けつけてみたが、まだ会場には20人ぐらいしか来ていなかった。それでも開始時刻には100人前後の聴衆が集まっていた。




 今回の演題は「TRONプロジェクト2002 〜ユビキタスコンピュータのためのオープンアーキテクチャー」というもの。最近の講演会では使われることが当たり前になってしまったパワーポイントではなく、「卓龍」という縦書き漢字を背景とした、自前のB-TRONによるスライドで講演が開始された。ちなみに、このB-TRONは、坂村氏が購入したノートパソコンのハードディスクから「ディスクシュレッダー」でWindowsの残骸を完膚無きまで徹底的に削除した後にインストールされたものだという(←本当は、そこまで徹底しなくてもインストールできるらしいが)。

 講演ではまず、「TRON」は「The Realtime Operating-systemNucleus」の略であることが坂村氏ご本人から語られた。松尾芭蕉が「奥の細道」の一節を自ら朗読しているような響きであり、まことに感動的であった。「realtime」はTRONの中心をなすコンセプトの1つであり、その重要性については、今回の講演の中でもたびたび言及された。次にユビキタスは「ubiquitous(遍在する)」という意味で、IBMでは「Pervasive」とも呼ばれる。日本語で通すならば、どこでもコンピュータ(Computing Everywhere)だ。

 「TRON」は、1984年に坂村氏がプロジェクトリーダーに就任されて以来、その優れた性能とオープンアーキテクチャーの思想が支持を集め、学校教育用パソコンの基本OSとして導入される動きもあった。ところが、米国の理不尽なスーパー301条圧力などによって導入が見送られ、マイクロソフトによる独占化が進むようになる。この時点で私は、TRONはすでに実用化の道を閉ざされ、以後はもっぱら研究目的の開発が細々と続けられているものと思い込んでいた。ところが、実際は大違い。じつは、WindowsよりTRONのほうが2ケタ違いの多さで活用されているのだそうだ。

 どうやら、私の誤解の根本は「コンピュータ=パソコン」という認識にあったようだ。コンピュータは実は車のエンジン、ビデオカメラ、FAX、レーザプリンタ、携帯など、さまざまな電子機器に組み込まれている。つまり、かつて坂村氏が提唱した「どこでもコンピュータ」はすでに個別には実現されている。これらを相互に連携させ、協調分散的ネットワークを構築することが21世紀に求められている。その際重要なことは、何十年というスパンで、常にどう使われるかを考え、理想と現実のバランスをとりながら全体デザインを行う姿勢であるという。




 坂村氏は次に、TRONの話題から離れて、マイクロソフトの独占問題に言及された。以下、長谷川の言葉に置き換えて、大いに賛同できる部分をまとめてみたい(←あくまで長谷川の記憶に基づくものなので、坂村氏の論旨と異なる部分があればご容赦いただきたい)。

 まず、坂村氏もご指摘のように、確かに今の日本では、マイクロソフトをどう考えるのかを発言する人は少ない。世界各国の中でマイクロソフトを独禁法で訴えていないのは日本だけであるという。

 講演の後のほうでも言及されたが、かつてスーパー301条圧力がかけらた時も、米国の調査官はTRONとは何かさえ知らずに来日した。米国にとっての不公正とは、要するに米国の企業が日本で商売する時に困ることを意味するのである。

 大学改革でもしばしば指摘されるところであるが、日本では、アメリカで使われていることをグローバルスタンダードとして無批判に受け入れる傾向がある。戦後50年以上たった今なお、自分の国について考えることがストレートにできないのである。3/1の日記で取り上げた自由の女神像など、まさにその象徴ではないかと思う。

 もっともマイクロソフトの問題はもう1つ別のところにもある。クローズドな形で一企業に独占されたOSというのは、会社存続のために、2年おきぐらいでバージョンアップを繰り返されなければならない。これは私自身痛感することだが、そのためにお金がかかるばかりでなく、インストールや習熟に多大な時間的負担を強いられる。こんな不安定なパソコン環境を終生強いられるのはまっぴらである。




 では、ハイテク企業が対米従属傾向を強め、もはや日本にはパソコン業界が無いとまで言われるようになったのはいつ頃からだったのだろうか。1ユーザーとしての私個人の印象では、NECがV30のような自社ブランドの開発を諦め、80286、80386、....というようにCPUの米国依存を高めたことと、ジャストシステムがMS-DOS2.11に依拠したワープロソフトを売り出し、その後いったん手がけたジャストウインドウからマイクロソフトのウインドウズに乗り換えたあたりが大きな転換点ではなかったかと思っているのだが、坂村氏によれば、1つにはIBMスパイ事件が大きな衝撃となり「コンパチは危ない」との風潮が広まったことが大きな契機になっているのだという。

 マイクロチップとOS、つまり車で言えばエンジンとシャーシの両方の製造手段を奪われた日本のメーカーは、もはや自前で開発ができなくなった。ソフトウェア面でも、OSやドライバが公開されていなければ開発者は育たない。このあたりが辛いところだ。

 講演の後半では、Linuxの話題、インターネットの問題点、「超漢字」のデモなどが行われた。次回に続く。