じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 東京ベイエリアはグローバリゼーションの象徴か。 [今日の写真]





3月1日(金)

【ちょっと思ったこと】

お台場で驚くわたし

 エコマネー・トーク参加のため上京。「ANAジェネレーション」指定のホテルとして、今回は東京ベイ有明ワシントンホテルに宿泊した。
 夕刻、ホテルからセンタープロムナードを通って、パレットタウン、さらにアクアシティお台場まで歩いてみた。

 お台場を見たのはほぼ40年ぶりかと思う。小学4年生の頃、浜離宮で「みなとまつり写生大会」があり、学校行事として参加した。バスに乗る時刻になってもまだ色を塗り終えていなかったので家に帰ってから仕上げようと思っていたら、いま出さないと審査を受けられないと言われ未完成のまま提出。ところが何がどう評価されたのか、その絵が「ぺんてる賞」に入選して東京都知事(当時は東氏)列席の場で表彰を受ける。そのご褒美としてなぜか自衛艦による東京湾クルーズに招待された時に眺めたのが最初で最後であった。当時は、公害で汚染された黒い海の中に砲台跡が波で洗われているだけだったと記憶している。

 言うまでもなく、東京ベイ一帯はもともとは海の中であった。人の住んでいなかったところに、最先端の技術を結集して新しい都市を作り上げるとこんなふうになるのかと、まずはその新しさに驚いた。

 そのいっぽう、途中立ち寄った「ヴィーナスフォート」とか「アクアシティお台場」の「自由の女神像」を眺めていると、戦後55年たった今なお、「脱亜入欧」というか「脱亜従米」というか、とにかく、日本の伝統文化を忘れて、ヨーロッパの古さとアメリカの最先端にあこがれる傾向が依然として続いていることには、ちょっぴり情けなさを感じた。お台場と言えば、かつて、「イヤデゴザンス ペリーさん」の頃だったか、外国からの侵入に備えて江戸の守りを固めるために作られた砲台ではなかったか。その後の富国強兵策や戦後の血のにじむ努力が、お台場に自由の女神を建てることと、中世イタリアの街並みの再現に向けられていたとしたらちょっぴり寂しい。ま、この東京ベイには「小香港」という所もあるらしいのですべてが「脱亜」というわけではなかろうが.....。

 その後、新交通「ゆりかもめ」とやらにも生まれて初めて乗ってみたが、これも、昨年6月にシドニーで乗った新交通システムとそっくりの眺めだった。そうそう、シドニーの夜景を楽しみにオーストラリアに行こうと思っている人は、旅行前にはゆりかもめで東京ベイには来ないほうがいい。きっと同じ景色にがっかりするはずだ。