じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 窓際の洋蘭の花。





1月23日(水)

【ちょっと思ったこと】

「放置自転車税」やら「ワンルームマンション税」やら

 東京豊島区はH15年度から駅周辺の放置自転車は鉄道利用者のものであるとの理由で鉄道事業者に対して、1台あたり3000円を徴収する新税を検討しているという。豊島区内の池袋駅周辺には毎日約4500台の放置自転車があり、撤去費用に年間10億円がかかっている。新税を導入すれば2億1000万円の税収が見込まれるとか。

 「放置自転車」は2つの側面を考える必要があると思う。自転車は、炭酸ガスを出さず(強いて言えば運転する人間が出すだけ)、健康にもよい、きわめて有用な移動手段である。これからの環境問題を考えるとき、自治体は、自転車利用者に最大限の便宜をはかるような都市交通システムを作る必要がある。

 その一方、駅構内にいくら駐輪場を整備しても、有料であるかぎり利用しない人、楽をしようとして平気で通路に放置する人もいる。この場合には、何が何でも取り締まる必要がある。放置自転車はすべて没収。盗難届けが出ているかどうかをチェックしたあと、中古自転車屋に売却、もしくは、整備して、自転車を必要とする発展途上国に無償で贈ったらよいのではないかと思う。

 それにしても、鉄道会社から税をとるというのは如何なものだろうか。結局は運賃に跳ね返るので、有料駐輪場を利用している人もバス利用者もすべて間接的に負担を強いられることになる。もう少し別の対策は考えられないだろうか。例えば、自転車所有者に対しては、防犯ステッカーを義務づける。万が一盗難にあった時や廃棄処分にする時はは直ちに届け出をすることとする。こうすれば放置車の所有者がすぐに分かるので罰金を科すこともできるし、盗難車の判別がすぐにできるので犯人逮捕も容易になる。もちろん、各駅の500m以内には、少なくとも1日100円以内で駐輪できるような駐輪場の設置を自治体と鉄道事業者に義務づけるといった具合。

 余談だが、ニュースでは、これとは別に、今後、単身者用の集合住宅を建設した場合に建築主に1部屋あたり50万円を課すという「ワンルームマンション税」の導入も検討しているというが、これも奇妙な税である。個々人の生活スタイルに自治体が干渉するような気がしてならない。



真の供養はクジラを食べること

 鹿児島県の大浦町の海岸に14頭のマッコウクジラが打ち上げられ、うち1頭が沖合まで運ばれて「救出」されたが、残りの13頭は死亡したという。この種のニュースでいつも思うのは、死んだクジラをどう処分するかということだろう。2000年4月7日の日記にも書いた通り。生きているクジラは救出して当然だし、ダイバーたちの必死の努力には頭が下がる。しかし死んでしまったものは、どうにもならない。外国の顔色をうかがって焼却、埋葬ということになればクジラたちは全くの無駄死にということになる。肉、骨、体毛など利用できる部分をすべて活用してこそ、真の供養になる。




大塩平八郎と「歴史小説」教育

 寝る前にNHK「その時歴史が動いた」を視る。大阪奉行所の与力であった大塩は、賄賂や与力が裏であやつる強盗団の摘発に尽力。そのうち、当時広く行われていた「無尽」に京都所司代など高級役人が絡んでいることをつきとめたが幕府中枢の妨害にあって頓挫、引退して陽明学の塾を開く。その後、飢饉の中でなお民衆よりも幕府への利便を優先して出世をはかろうとする奉行所や幕府の姿勢を正すために決起というような内容だった。

 先日のセンター試験の問題を見て思ったことだが、どうも歴史の問題というのは、某日記作者の言葉を借りるならば「知ってるか知らないかってコトだけが問題になる問い」が多すぎるように思う。受験が終わったらすぐに忘れるようなコマゴマとしたことを網羅的に教えるよりも、今回の大塩平八郎のような事例を取り上げ、当時の流通はどうなっていたのか、何が背景となって乱が起こったのか、後の天保の改革はなぜ失敗したのかというようなことを徹底的に探究したほうが高校生の興味も増すし、その後の人生にも大いに役立てることができるように思う。

 歴史学と歴史小説が違うことは分かる。しかし、過去と現代では世の中を形作る要因があまりにも違いすぎる。学問として歴史的出来事の真実をつきとめることは大切だろうが、それを直ちに今の生活に活かすことはできない。過去と現代で共通しているのは、むしろ人間の決断や行動に関する部分である。個人肥大型の歴史観、あるいはことによると歴史学ではなく、歴史小説を教材とした文学の授業になってしまったとしても、そういうことを教えたほうが我々の生き方に役立てられるのではないだろうか。

 ちなみに、この番組の最後で紹介された大塩の言葉は、

●知行合一(ちこうごういつ。知ることには行動が伴わなければならない)。陽明学の実践重視の立場。真の認識は実践を通じて獲得されるという見地から認識と実践を一致させる[三省堂『大辞林』より抜粋]

であった。認知心理学の発想を朱子学に例えるなら、行動分析学の発想は陽明学にちょっと似たところがある。

 この「その時歴史が動いた」はめったに視る機会が無かったが、次回は吉田松陰を取り上げるという。吉田松陰と言えば、私の通った幼稚園は「世田谷・松蔭幼稚園」、七五三のお参りも松陰神社という縁のある方。しかも、某学長は吉田松陰を信仰しているという。ぜひ視ておきたいものだ。