じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 白木蓮。岡大事務局前にて。花びらが散りかけた風景も趣があるものだ。


4月7日(金)

【思ったこと】
_00407(金)[一般]マッコウクジラの真の供養について考える

 4/8の朝日新聞によれば、静岡県大須賀町の遠州灘海岸に打ち上げられていた体長16.4mのマッコウクジラが、懸命の救出作業の甲斐なく、4/7の14時28分に死亡したという。水産庁は「肉が市場に出るのは違法ではないが、国際的な世論を考慮すると問題がある」とし、「焼却するか、埋めるように」と指導したそうだ。

 この問題については、天地無朋さんが「食べたらいいのに」(4/7)と反応しておられたが、私も同感。廃棄物として処理するのではクジラは「浮かばれ」ない。肉、骨、体毛など利用できる部分をすべて活用してこそ、真の供養になるように思う。

 私は個人的には、捕鯨をしてまでクジラを殺すことにはあまり賛成できない。しかし今回の場合は、懸命の救出活動にも関わらず結果的に死亡したのだからワケが違う。

 2年近く前のことになるが、98年6月14日の日記でクリオネについてこんなことを書いたことがあった。
20時からの「神々の詩」を見る。クリオネが雌雄同体であるとは知らなかった。クリオネに限らず、海中に漂う生まれたての透明な生き物を見ていると、海という1つの巨大生命体を構成する1つ1つの細胞のような気がしてくる。この世界では、捕食というのも殺し合いではなくて細胞間の栄養の移動のように見えてくる。死ねばその肉体は海中すべての生き物の栄養源となる。これが地球上の生き物の本来のありかたなのかもしれないと思った。
 こうした食物連鎖は下等な動物のあいだだけで成り立つものではない。サバンナでライオンにヌーが捕食される場面は一見残酷に見えるけれども、見方を変えれば、殺される寸前のヌーは恍惚状態となって、ライオンへの一体化を楽しんでいるようにも見える。放牧民に殺される羊たちも同様だ。

 動物生命に対する一番の冒涜は、殺生すること自体を快楽として殺生をすることだろう。ハンティングの場合も、害獣の駆除やボタン鍋、キジ鍋などの材料を得るために殺生をするなら分かる。いちばん残酷なのは、腕を競うためだけに殺すという行為である。

 人間が人間の肉を食べることは少なくとも文明社会ではタブーとされている。原始的な社会での食人も、美味しいから食べるというより食べることで死者の呪いをうち消すといった宗教的な理由があったように思う。しかし文明社会にあっても絶対的に否定されるべきものとは限らない。「アンデスの聖餐」という実話のように、食料が枯渇した山中にあっては、死者の肉を食べて生きることが死者を活かすことにつながる(参考となる情報がこちらにあった)。だからと言って、ソイレントグリーンのような社会を作ってはいけないと思うけれど。脳死の確認を厳正に行うことを前提に、臓器移植を通じて死者を活かすということが限度であろう。
 いずれにしても、今回の問題でいちばん残念に思うのは、「国際的な世論を考慮すると問題がある」という、主体性の無い、事勿れ主義だけで処分を決めてしまおうという姿勢だ。日本人はこれだけクジラを活かしているということを世界に示し、、肉を売って得られた収入をクジラ保護運動の資金に活用することこそが、マッコウクジラに対する真の供養になると思うのだがいかがだろうか。
【新しく知ったこと】
  • 書籍代や学会費の税額控除

     4/6の日記読み日記でIsland Lifeさんの4/4の日記に関して
    【「業務に関連する書籍代や学会費は控除できる」っていうのは給与所得者にも適用されるのだろうか。印税収入に関して、その執筆に必要な書籍の購入や調査旅費は控除されると聞いたことがあるけれど..。あっ、どっちにしても、ハワイと日本では違うかも。
    と書いたところ、掲示板のほうで以下のようなご回答をいただいた。貴重な情報をどうもありがとうございました。
    「日記読み日記」での疑問にお答えしますと、給与所得者とそうでない人の区別自体が無いのです。総合課税なので、どんな立場の人でも、全ての所得を合算し、そこから控除可能なものをさっぴいていって課税額を計算します。
    まあどこまで控除が認められるかはケースバイケースで、あんまり極端だと監察が入ることになりますが。
【今日の畑仕事】

ホウレンソウ、ニンジンを収穫。小松菜種まき。
【スクラップブック】