じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 雨上がりの半田山とセンダン。この季節のセンダンは黄金色の実が輝きひときわ美しい。





12月6日(木)

【ちょっと思ったこと】

ネズミ講メイル勧誘者逮捕

 12/6の朝日新聞によれば、電子メイルを不特定多数に送り、ねずみ講に勧誘したとして、神戸市在住の薬局事務員の女性(41)を逮捕、また、このねずみ講に参加した豊島区在住の郵政事業庁貯金部の男性係長(45)を書類送検したという。この女性は719人から145万円を受け取った疑いというが、数学上成り立つはずのない仕組みに719人ものが群がったとは信じられないことだ。

 私の所にこの種のメイルが届いた時は、直ちに岡山県警に転送することに決めている。今回の容疑者の名前が含まれていたかどうかは記憶に無いが、要請があれば過去ログを調べて証拠固めに協力したいと思っている。



寂しい北十字

 夜9時すぎに散歩していたら、北西の空に白鳥座が見えた。白鳥座は夏の大三角形を構成する星座として知られるが、北極星に近いため、1月頃までは北西の夕空に、2月以降は明け方の空、というようにほぼ一年中眺めることができ、タイミングがよければ夕刻と明け方に「二度見」することさえ可能である。

 私が散歩するあたりは北西に低い山が連なっていて、この時期の白鳥座は、デネブを頂点に十字架が墓標のようにささっているように見える。時には不気味に感じることさえある。そう言えば、98年11月29日の日記で、強烈な強烈なシンクロニシティを体験したことを思い出した。

 今年の6月にはオーストラリア研修の際に、天頂付近で何度か南十字を眺めることができた。こちらはネックレスのような大きさで、どちらかと言えば天国をイメージさせる。それに比べると、墓標のように突き刺さって沈む北十字はとても寂しく感じられるものだ。
【思ったこと】
_11206(木)[心理]引用文の羅列はダメ、当たり前のことにも根拠を示せ

 1月末の締切を前に、ゼミの授業ではそろそろ序論の下書き部分を発表する卒論生が出てきた。そのさいに指示したことをメモ代わりに記しておきたい。

 まず、文献をきっちりと引用するのはよいのだが、引用文の羅列に終わらないようにしてもらいたいものだ。著名な心理学者によって書かれたことだからといってそれで正しいというわけにはいかない。その心理学者は何かの根拠に基づいて主張をしているはずから、その理由づけの妥当性についてもちゃんとコメントしなければならない。つまり、
 心理学者Aは××と述べている。心理学者Bも××と述べている。さらに心理学者Cも××と述べている。
というような羅列ではなく、
 心理学者Aは、n1、n2、n3という根拠に基づいて××と主張している。心理学者Bもこれと同じ見解を示している。心理学者Cは、これを支持する根拠としてn4やn5を挙げている。しかし、このうちのn1やn2はYYによっても説明できる。XXを肯定できるのはn3〜n5の根拠があるためだと私は考える。
というように、主張の根拠を示すとともに、自分自身のオリジナルの考えもちゃんと述べることが望ましい。

 もう1つ、福祉関係の問題を論じる時には、「当たり前」が独り歩きしないように注意しなければならない。「高齢者の自立を支援すべきだ」というのは一見当たり前であるけれども、「自立」が心理学的にどのようなポジティブな効果をもたらすのかは別に述べなければならない。「××という必要性が強調されている」と書くのではなく、「××は必要である。その理由として、○○や△△を挙げることができる」というようにきっちりと論拠を示さなければならない。

 このほか、頭の中ではちゃんと推論ができているのだが、書き下す段階でその一部を省略してしまうために、論理が飛躍していたり、唐突に思われたりするケースがある。読み手にその通りだと判らせるためには、頭の中だけで分かっていていることを面倒がらずに筋道立てて説明していく必要があるのだが、これがなかなか難しい。私なども、これでいつも苦労している。