じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 時計台横の楷の木の紅葉もそろそろ終わりに近づいてきた。この種類は赤から黄色への変化が面白い。ちなみに、時計台の両側にある楷の木はいずれもメスの木。よく見ると少しばかり実がなっている。もし一方がオスの木だとすると実がなりすぎてこれほど美しい紅葉は見られなかったのではないかと思われる。



11月28日(水)

【思ったこと】
_11128(水)[電脳]性能の向上よりもユーザー本位で持続可能な利用ができるパソコン

 11/28の新聞に某パソコンメーカーの全面広告が掲載されていた。それによれば、1GHz、メモリ128MB、20GBのHDDのディスクトップの本体価格が9万9800円、1ランク上の1.6GHz、メモリ256MB、60GBのHDDのディスクトップ(DVD&CD-R/RWコンビネーションドライブ、PCカードスロット付き...)の本体価格が11万8000円となっていた。15〜16年前に購入したPC-9801VMは、たしか、10MHz、メモリ640KB、ハードディスクはせいぜい20〜40MBであったので、2桁から3桁近い向上となる。例えて言うならば、1人のジョギングが200人乗りのジェット機に進化したぐらいの違いということになるだろうか。

 25日の日記で述べたように、21世紀は、無展望な右上がりの「発展」よりも、むしろソフトランディングと「持続可能性」を模索する時代にあると言われている。これに反してパソコン関連の企業は、ハード面でもソフト面でも常に右上がりを志向し、高性能化に伴う買い換えやソフトのバージョンアップに依存して発展を続けてきた。それゆえ、指数関数的な発展の後に考えられるのは、経営破綻(=破滅)するかソフトランディングして安定するか、2つに1つしかない。パソコンが「サスティナブル(sustainable)」な利用状態に至ることはあるのだろうか、もしあるとすればどの程度のレベルになるのだろう?

 大学の計算室の中古パソコンについて学生からしばしば要望が出るのは、ハードディスクの容量の少なさ(古いものは1.6GBしかない)やメモリの不足(古いものは32MB)である。ところが、ハードディスクが10GB、メモリが64MB程度以上となってくると、通常の業務(ワープロ、ネット、作図にはそれほどの不便を感じなってくる。上記の「1GHz、メモリ128MB、20GBのHDD」なんていうのは、通常の業務用としては十分すぎるぐらいの性能ではないかと思う。

 個人として、デジカメ写真の整理をする場合はどうだろうか。この場合でも、1枚の写真を50KBとすると、1日平均20枚撮ったとして約1MB、1年で365MB、30年でせいぜい12GBもあれば十分。またWeb日記のファイルは2000年1年分で12MB、30年分で360MBほどあれば十分ということになる。仕事で必要なファイルを多めに見積もっても20GBを越えることは無かろうと思う。しかも、いま述べたのは、すべてのデータファイルをハードディスクに収めた場合の話。実際はCD-ROMなどに焼き込んで保管する場合もあるだろうから、もっと少なくても済む。




 パソコンがさらに性能向上を求められるとしたら、動画の表示や保管の問題があるだろう。しかし、研究のために動作解析でもするならともかく、ただ映画を観るだけだったらDVDでも十分。個人が撮影したビデオもせいぜいテープかDVD化すればよいはずだ。動画というのは静止画以上に便利なように思える反面、見る側を一定時間拘束するという別の不便さをかかえている。子どもが小さい頃は我が家でもよくホームビデオを撮影したものだが、実際に再生することは数年に一度程度。静止画アルバムと異なり、ビデオというのは撮影した時間分だけ見る人を拘束することになるのである。

 動画よりも遙かに期待されるのは自動翻訳の機能かと思う。もっとも、ビル・ゲイツ氏自身もいつぞや講演で言っておられたと思うが、機械翻訳にはさまざまな困難がつきまとう。むしろ、訳してもらいたい文章を特定のサイトに送ると複数の業者から瞬時に見積もりが出るというようなネット上の取引の活発化のほうを想定しておられるようだ。この場合、テキストの表示や送受信ができるパソコンがあれば十分ということになる。




 パソコンが伝承型のスキルと一番大きく異なるのは、バージョンアップなどによって、常に新しい操作を覚えさせられることだろう。それゆえ、パソコン歴の長い年長者は必ずしも指導的立場に立てない。またユーザー自身にとっても、年を取ると、高性能化よりも、今と同じ使用環境をいかに守れるかのほうが重要になってくる。これも広義の「サスティナブル(sustainable)」保障ということになるかと思う。もうそろそろ、性能の向上よりも、ユーザー本位で持続可能な利用ができる安定型機種を作ってもよいのではないだろうか。