じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 柊木犀。大学構内には、金木犀、銀木犀とこの柊木犀があるが、柊木犀の開花がいちばん遅い。地味だがよい香りがする。もっとも、冷たい雨の中、11/6朝には殆ど散っていることだろう。



11月5日(月)

【ちょっと思ったこと】

くたびれる私

 月曜は朝1コマ目が授業、そのあと、火曜日の委員会の打ち合わせ、午後は倉敷まで非常勤講師、戻ってからちょっと休憩のあと20時半まで会議があった。研究のためならともかく、授業と会議で大半を費やすのは精神衛生上よくない。しかし、明日もまた、午前中は会議、午後は授業が2コマ、水曜も朝から授業....と、くたびれる毎日が続く。



リンカーン

 帰宅途中、車の中でラジオを聞いた。それによれば、リンカーンが子供の頃に住んでいた丸太小屋は、一軒目は床無し、二軒目は一方向が壁無しだった。弁護士の資格をとったあとに結婚した奥さんは裕福な家庭の出身で浪費癖があり(←息子を失ったことも影響)手袋300組を持っていたとか。不謹慎な話で恐縮だが、リンカーンが頭に布を巻くと○ン○○○ン氏に似ているように見えるのは私だけだろうか。
【思ったこと】
_11105(月)[教育]21世紀の大学教育(10)東大の入試改革(2)農学部、利用行動科学、関係学

 昨日の日記の続き。東大の入試改革でもう1つ取り上げたいと思うのは、農学部を薬学部・医学部とひとくくりにして理科B類として募集することだ。じつは某地方大学でも、医学部、薬学部、歯学部が大学院レベルで統合され、ゆくゆくは農学部もこれに加わるとの構想がある。「医歯薬」系に「農学部」が加わる一番の理由はおそらく、バイオテクノロジー主体の研究を進めるという将来構想のあらわれかと思うが、農学部は本当にそういう道を進むべきなのだろうか。

 9/7の日記で取り上げたように、日本の国土は世界でも珍しい「温帯・多雨」の気候に属する。その特性を活かした農業をもっと大切にし、単に食糧の確保を目的とするのでなく、それに従事する人々の生活安定と働きがいを確保すべきである。都市住民も、ボラバイト[10/28の日記参照]のような形でそれに参加すれば、作り物のアトラクションやバーチャルな娯楽に代えて本物の自然にふれあうことができる。

 9/30に行われた人間・植物関係学会における東京農大学長の講演[こちら参照]では、自然科学では研究分野が細分化し、木を見て森を見なくなっていることの問題点が指摘された。じっさい、農業分野でも
  • 工業生産の原理を導入し、生産拡大の方法ばかりを追求してきたことの問題
  • 水田、山林、草原を全体としてとらえず、細胞、遺伝子、ホルモンなど、「木を見て森を見ない」どころか、木の葉っぱさえ見ない研究に重点を置きすぎたことの問題
が深刻化しているように思う。門外漢がこんなことを言っては失礼だろうが、戦後の農学研究は農業の振興よりも農業の崩壊の手助けをしてきた、ということは無かっただろうか。

 農業に限らず、21世紀に緊急に求められる研究は、
  • ハイテクノロジーについての研究
  • そのハイテクノロジーを利用する人間行動についての研究(=行動科学、経済学など)
  • 細分化した研究諸分野を融合させ、それらの関係や全体のバランスを追究する研究
ではないかと思う。それらは個々バラバラに取り組むよりも、むしろ研究者一人一人の中で3者を念頭に置きながら得意分野を追究していくことのほうが望まれる。今回、新たに設置されるという「文理類」はある程度それを満たすものとも言えるが、ほんとうにそれを実現させていくためには、入試募集段階ばかりでなく、大学全体の教育体制や研究体制をそれに合わせていく必要がある。昨日も書いたが、例えば、「主専攻:○○工学、副専攻:行動科学」というように副専攻制を設けることは1つの方策となる。研究分野では、もっと本格的な「人間・植物関係学」、「人間・動物関係学」、「人間・食物関係学」、「人間・海洋研究学」といった学問の創設が求められる。このように考えてみると、医学部、薬学部と農学部を同じ類で括るという理科B類の発想は、「利用行動についての科学」が欠落した旧来のテクノロジー至上主義から脱却できていないように思えてならない。