じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】 _11104(日)[教育]21世紀の大学教育(9)東大の入試改革(1)大括りで募集することの功罪 少し前のニュースになるが、11/1の朝日新聞によれば東京大学は31日までに、学部教育を約40年ぶりに大幅に見直す素案をまとめ、各学部に示したという。それによれば、現行の6つの類を、文A(法、経)、文B(文、教育)、理A(工、理)、理B(農、薬、医)、および、文理類の計5類に組み替え、2006年度入試から実施する予定であるという。文理類は、IT技術や生命倫理など文系、理系の区分を超えた修得が必要な学問分野に対応するために新設が検討されているとのことだ。以上の情報はまだ検討段階ということであるが、実現に至れば、文理類の新設と全国最難関の理IIIが消えることとで大きな話題をよぶことになるだろう。 東大独自の事情についてはコメントする立場にはないが、以下の2点は、他大学にも共通する検討課題として考える必要があると思う。 1つは、東大が、 ●受験生を細かい分野に分けずに募集し、入学後の2年間に一定の専門科目を受講した上で希望する専攻に分属させる という方針を今後も継続させた点である。 このような入試方法のやり方は、大学の研究分野をある程度知った上で志望先を決めるべきだ、という理念に合致している。 こちらの論文でも取り上げたように、心理学の志望者などは、しばしば「心理学を目指す高校生は、ある意味で勘違いして心理学を志し、でも、まあいいかってことで心理学を学んで自分のものにしていくのである。 (佐藤, 1997)」などと言われる。 最近では自然科学分野の細分化がますます進んでいるため、最初から学科あるいは専攻単位で募集しても、興味や適性に合った志望先を決めることは殆ど不可能。卒業後の就職優位性、あるいは高校の先生の一方的な指示、受験雑誌の断片的な情報、その他、根拠のない噂などに惑わされて一生の進路を決めてしまうのは大いに問題がある。 しかし、このような大括りの募集のしかたも欠点が無いわけではない。一番の問題は、入学後の学生が、本当に希望どおりの専攻に進めるだろうかということだ。 人気のある専攻(あるいは講座、履修コースなど)に志望者が集中した場合、入学後の成績や面接などで選抜を行う必要が出てくる。首尾よく希望通りに進めた者は良いが、他の専攻に回された学生は残りの2〜3年を「不本意配属」の失意のもとに過ごさなければならなくなる。これは学生ばかりではない。「不本意配属」者の多い教室では、長期欠席者や不真面目学生が増えて指導が難しくなる。入試時点からその専攻志望の学生を入れておいたほうがよっぽどやりやすいという声も出てくるだろう。 また、入学後の成績が振り分けに影響する大学では、何はともあれ、学生は各科目で高い点を取ることに専念しなければならない。これは悪く言えば受験勉強の延長であり、サークル活動、その他、ポートフォーリオ育成型の教育を行うことが難しくなる恐れがある。具体的な達成目標を定めて評価することが難しい基盤教養教育よりも、点数のとりやすい外国語や自然系科目のほうにエネルギーを注ぐ学生が増えてくるかもしれない。 東大ではなぜこういう問題が起きないのか、と東大を卒業された先生に尋ねたことがある。
大括りの募集方式というのは、最初から具体的な志望先を考えている学生にとっては不人気となる。地方の国立大学でこういう方式をとると、志望者が激減し、結果的に学力の低い受験生を合格にせざるをえないという問題があるのではないかと思う。これを解消する策として、個人的には
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