じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 烏ヶ山(からすがせん)中腹のススキの原っぱ。



10月21日(日)

【思ったこと】
_11021(日)[社会]新聞全面広告に見る「狂牛病大丈夫宣言」

 このところ狂牛病(BSE)関連の全面広告が立て続けに出されている。米国食肉輸出連合会(USMEF)の広告[10/15の日記参照]に続き、私の目にとまった広告のその主張点は以下の通り。
  • 牛角(株式会社レインズインターナショナル)10/19広告
    1. 9/21の狂牛病発生の経緯と、外食産業の立場からの使命の強調。
    2. 国産牛は一時使用を見合わせる。
    3. アメリカ産とオーストラリア産の牛肉のみを使用している。
    4. アメリカ:狂牛病が無い/汚染の可能性のある製品輸入禁止/肉骨粉使用禁止法制化/過去10年以上にわたる検査・監視体制
    5. オーストラリア:狂牛病が無い/牧草や穀物使用/1980年代から対策/世界最高レベル/クリーンな大自然


  • マクドナルド10/20広告
    1. マクドナルドの牛肉はオーストラリア産。
    2. オーストラリア:狂牛病が無い/肉骨粉不使用/厳しい品質管理とクリーンな飼育環境


  • 財団法人 日本食肉消費総合センター・農畜産業振興事業団10/20広告
    1. もともと安全だが念には念を入れてBSE検査
    2. 東京大学農学部教授・小野寺節先生に聞く
    3. 牛の脳、眼、脊髄、回腸遠位部以外は感染の恐れ無し。
    4. 学校給食で牛乳が飲まれているのに牛肉の利用を見合わせるのは残念
    5. 英国では18万頭も発生したが、人の発症率は年間500万人に1人
    6. EUを超えるBSE検査実施。疑いのある牛肉は一切流通させず。
    7. 肉骨粉は今後はエサには使用しないので感染経路が断たれる。
 こうしてみると、前の2つは「国産牛肉を使用していない」と強調することで安全性をアピールしており、結果的に、日本食肉消費総合センターのせっかくの広告のアピール効果を弱めているようにも思う。国内の外食産業と国産牛肉の関係者が一致団結して安全宣言を出せばよいようなものを、あえて「国産は使わない」などと自分だけ良い子になろうとするから、風評被害はなかなか消えないのである。

 もっとも、上記の日本食肉消費総合センターの広告は、不安解消という点では必ずしも説得力を与えていない面がある。3.の感染部位については、背割り法などの処理過程での感染のおそれを払拭しない限り説得力を持たないし、加工品に混入している恐れもある。5.の「人の発症率は年間500万人に1人」というようにいくら確率の低さを強調してもゼロでないデータは安心には繋がらない。今後は安全と言っても、すでに流通している牛肉の安全性は保証されないことになってしまう。安全性をアピールするには、1つのフレーズがあれば十分。有利なデータをあれやこれやと並べ立てると却って逆効果になるように思う。



 ところで今回の騒ぎには、何でもかんでも「安全か危険か」という二者択一でひとくくりに考えようとする悪い思考習慣が影響を与えているように思う。仮に、日本のある地域で立て続けに狂牛病が発生したとしても、それをもって

●国産牛はすべて危険

というような主張をすることはできないのである。まずは感染の原因を究明した上で、感染が肉骨粉によるとするならば同じ飼料を食べていた牛だけを隔離すれば済むこと。地域性の強いものならば、発生した地域だけを出荷停止にすればよいはず。日本だってそんなに狭い国ではないのだから、北海道から沖縄に至る全ての地域の牛をひとくくりに考える必要は無い。

●国産牛肉と、米国やオーストラリアの牛肉のどちらが安全か

などという論の立て方も、国の制度の違いだけが安全性の唯一の基準であるような印象を与えてしまうおかしな議論である。安全性問題についても、もっと、国内外の多様性に目を向けるべきであろうと思う。



追記]10/22の朝日新聞にさらにもう1件の全面広告が掲載された。
JA全農
  1. BSEシャットアウトの緊急対策はすでに全国で実施されている。
  2. 検査に合格した牛だけ。
  3. 日本のBSE検査は世界で最も厳しいレベル(EUと同等基準、すべてを検査対象としている点はEU以上)。
  4. 現在、肉骨粉の輸入、製造、流通は禁止。
  5. 検査に合格した牛であっても、特定部位(脳など)は焼却処分にしている。
 日本食肉消費総合センターの広告よりも論点がいくらか整理されているという印象を受けるが、上記3.の検査体制はまだまだ始まったばかり。検査の不手際によるやり直しなどが報道されたり、ごまかしの場合のチェック体制はどうなっているのか、未知のプリオンが発生したらどうなるのか、といった疑問が残っている限りは、100%は安心できないという問題が残る。

 上にも述べたように、国産牛が安全であるということをアピールするには、誰もが納得するようなクリアな根拠を1つ示せばそれで済む。あれもこれもと、自説に有利な事実をゴタゴタと並べるとかえって言い訳がましく聞こえる。個人的には、屠殺から解体、食肉製造に至るプロセスで、危険部位との接触による汚染があり得ないという1点だけが保証されればそれでスッキリするように思う。フグ料理を安心して食べるのも、危険部位の分離がきっちり行われていることへの信頼があるからではないか。
【ちょっと思ったこと】

ラジオ2題

 この土日は、車を運転しながらラジオを聞く機会が多かった。

 土曜の夕刻には、タライについての思い出を語る番組があった。かつて、たらいは、洗濯や行水など日常生活には無くてはならない用品であり、嫁入りの時に大小2つのたらいを持たせた地域もあったという。私自身も、たらいで行水をした記憶がかすかに残っている。

 そんな、たらいが姿を消したのは電気洗濯機の登場と大きく関わっているという(「三種の神器」の中でも、娯楽品のテレビ、もともとは食品保存目的はなく冷やすためだけに存在した冷蔵庫に比べると、女性の家事労働の軽減に最も貢献したのが洗濯機であったという)。

 もう1つ、日曜日の昼過ぎに、NHK第二で、風景の主観性と客観性について論じている放送があった。あとで調べたところでは、どうやら、 東京工業大学教授の桑子敏雄先生による、「新しい哲学への冒険」という講座の一部だったようだ。聞き取った範囲では、風景についての主観性と客観性を議論することには無理があり、これに代わって「配置」、「履歴」、「感性」が大切という内容であったと思う。もっとも、行動分析的に見れば、主観や客観などという対立軸はそもそもがナンセンス。客観的風景とは事物の客観的配置であり、その事物が条件刺激として条件反応を誘発する力、あるいはその事物が個体のオペラント反応を強化する力についての個体差が主観的風景を形作るのは当然のことである。